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わたしが初めてイハレアカラに出会ったのは、1992年、彼が初めてボストンでホ・オポノポノの講演会をした時でした。それまではセルフアイデンティティー スルー ホ・オポノポノに関しての理解は浅く、正直なところ、そこまで魅力を感じていませんでした。
しかし、イハレアカラと会った瞬間に、わたしは彼そのものに大きく魅了されました。わたしはそれまで、赤の他人がこれほどまでに万人に謙虚で、尊敬の念を持ち、人と関わるのを見たことはありませんでした。

そのクリーニングとよばれるものを、誰かたった一人だけでも絶え間なくすることによって、周りにいる人や空間が整い、前進していく様子を目の当たりにし、次第にわたしはそれを自分自身で実践したいと思い、クラスに積極的に参加するようになりました。

ボストンでクラスがある時、イハレアカラはわたしの自宅に滞在していました。今でもその時のイハレアカラの印象が、あらゆる体験をクリーニングすることがわたしにとっての最優先の仕事であるということを表す象徴となっています。

クラス開催の前夜、イハレアカラから目覚まし時計をセットしてほしいという依頼がありました。クラス開催時間は10時なので、クラスのためにゆっくり休んでほしいと思い、朝7時にセットすると言ったら、朝4時に目覚ましをかけてほしいと依頼されたので、わたしは驚きながらもその通りにしました。

翌朝、目を覚まし、リビングルームへ行くと、そこには、ベーシック1とベーシック2のマニュアルを手にしソファに座っているイハレアカラがいました。
その状況を言葉で形容するならば、それはまさに平和そのものでした。

イハレアカラがそこで自分自身をクリーニングすることによって、ただただ、そこに平和が体現されているのでした。そこは、紛れもない自宅の一室であるにも関わらず、自分では味わったことのない平和に満たされていました。椅子にもソファにも空間全体にも平和が広がっているのがわかりました。静けさがそこにあるのはもちろんですが、その静けさの中に思考の入り込む余地がないのです。
朝の4時からおそらくそこで、イハレアカラはその日はじまるクラスのために準備、すなわちクリーニングを始めていたのでしょう。

2003年にベーシック2のクラスを受講しに、ボストンから飛行機に乗ってシアトルを訪れた時のことです。

その年にわたしは、完治の見込みがない癌を医師に診断されました。
クラスを受講する過程でイハレアカラと話す機会があり、わたしは今自分がどんな状態にあるかを話しました。

すると、イハレアカラは「これはわたしの中にもともとある問題です」そう言ってから、静かにクリーニングをしている様子で数分が経ちました。

そして、そしてイハレアカラはわたしにこう言いました。

「サブマリン(潜水艦)が浮上する時に勢いよく水面に顔を出すように、あなたはこの体験から抜け出すことができます」

彼がそう言った時、わたしは心の底から安心を感じることができました。余命2年と診断され、精神的に落ち込んでいたところに、光が差したように、その瞬間、体全体が軽くなりました。

しかし、イハレアカラはこう続けました。

「でも、あなたが自分でクリーニングしないといけませんよ」

それからわたしは本当の意味でクリーニングをスタートすることができました。
一瞬一瞬、あらゆる出来事、思考に対して自分が責任を持ってクリーニングをするということを、その日を境に実践するようになりました。

そして、ニューヨークでベーシック1クラスが開催された時のクラスの中で、イハレアカラはわたしが今どのような状況にいるのかを話すように指示しました。

わたしはあの日以来クリーニングを続け、あらゆる治療をクリーニングを通して実践してきました。さまざまな投薬治療の際もわたしはクリーニングを続け、体にとって毒となるはずの化学的な治療も、わたしは薬物、治療法、医師、病院を一つ一つ丁寧にクリーニングしました。その薬物に関して自分が感じていることや恐れも、自分自身の問題としてクリーニングをしました。
その結果は医者が驚くものでした。血液を通じた治療でここまでの効力を発することはなかなかない。これは奇跡であると。そして、あなたはどんなことを同時にしているのか知らないけれど、それはこれからも続けていくべきだと言われました。それは紛れもなくクリーニングでした。

その話をクラスの中ですると、大きな拍手に包まれ、わたしは内なる感謝に満ち溢れました。それと同時に、それまでわたしの前に立っていたイハレアカラが去り際に急にわたしのほうを振り返り、わたしを指差して今度はこう言いました。

「JP、運転する時もクリーニングを忘れないで。そうでないと、高速道路であなたは命を失いますよ」

当然、わたしはその言葉に驚きましたが、それを真摯に受け止めました。
それ以来、わたしは車に乗る前には、必ず自分自身、そして車をクリーニングするようになりました。
そして、実際にイハレアカラからそのような忠告を受けて何ヶ月か経ってからのことです。
わたしは顧客のところに向かうため、同僚を乗せて高速道路を目的地に向かって走っていました。かつてその高速道路の出口を抜けた先には、大きな交差点で、一時停止のサインがあり、いつも通り抜けるのにてこずるポイントでした。

しかし、その時はかつて、そこにあったはずの一時停止のサインがなくなっていることに気がつきました。わたしは、単純にこれは楽になったなと思い、信号が青になっていることを確認しアクセルを踏みました。しかし、そのとき何気なく左を向くと、ピックアップトラックが猛スピードで進んでくるのが目に入り、わたしは急ブレーキをかけました。
すべては一瞬の間に進んでいたように感じます。寸前のところで、わたしは車を停止させ、次の瞬間には、目の前を車が通り過ぎていきました。身の安全を確かめると同時に心の中でイハレアカラに感謝する自分がいました。

それからもクラスで会うたびに、イハレアカラはわたしの健康状態について尋ねてくれ、その都度クリーニングを一緒にしてくれました。ある時、クラスの休憩時間中に、わたしの隣に腰を下ろしこう言いました。

「さて、今は何をクリーニングする必要があるかな?」とわたしに聞いてきました。

わたしは常に多くの参加者がイハレアカラの元に相談を持ちかけているにも関わらず、こうして気にかけ続けてくれることに感謝とともに申し訳なさを感じましたが、丁度その頃、一度なくなったはずの癌が検査によって再び発見され、わたしは動揺していました。
そんな時、イハレアカラはこう言いました。

“Divinity is not your concierge”
「JP、神聖なる存在はあなたのコンシェルジュではないんだよ」

わたしはそうであるということは知っていたつもりでしたし、神聖なる存在に感謝もしていました。イハレアカラが一体わたしの中の何を見て、その発言したのか、真意を探るようにしているとこう続けました。

“Cleaning did this job and the clarity came in”
「クリーニングによってそれに必要な働きは成されます。そして、必要な明確さが現れます」

常に神聖なる存在から本来与えられているはずの叡智を受け取るのに必要な明確さは、クリーニングによって手に入れることができるのです。そう言われて改めて、わたしの期待を叶えるためにクリーニングしているのではないのだということがはっきりとわかりました。わたしたちがクリーニングを通してできることは、起きている出来事を通して、過去にした自分の過ちを悔い改めること、ただそれだけなのだということが腑に落ちたのです。

わたしは「ただクリーニングする」代わりに期待によってリズムからは外れた状態であるということに気付かされました。

“Cleaning is a full time job. Memory is never rest”
「クリーニングはフルタイムの仕事だよ。記憶は休むことなく再生され続けているからね」

イハレアカラはわたしをよく呼び止めてこう言いました。わたしがリズムから外れないように思い出させてくれたのです。
イハレアカラが長年このように何気なく、とても謙虚にこのように話しかけてくれたことで、わたしはいつでも、すべては自分自身の問題であるという基本的なことを思い出すことができました。どのような瞬間もクリーニングすることができるということを忘れないために、イハレアカラはそう言ってくれていたのでした。

ある時クラスの開催中、昼休みにわたしは椅子に座って、部屋をクリーニングしていました。

ここでクラスを開催させてくれてありがとう、この場が正しく守られていることへの感謝を目を瞑りながら伝えていたら、首もとで「ありがとう」と囁かれたので、振り向くとイハレアカラが微笑んでいました。
今でもその謙虚な佇まい、そのちょっといたずらな、そして自愛に満ちた微笑みを忘れられません。

わたしにとってはなんてことない場所や状況でも、イハレアカラはよく、立ち止まったり、歩いたりして、クリーニングをしている姿が印象的でした。

ある時、スタッフの皆で夕食を外に食べに行ったとき、帰り道は消化のためにも歩いて帰ろうということになり、その歩みを進めようとすると、静かにこう言いました。

「念の為、安全のためにクリーニングしてから進みましょう」

そこで、わたしは、はっと気づき、わたしには見えていないものをその瞬間イハレアカラは見たり感じたりしていることに気がつきました。
そんなイハレアカラに、リビングルームで佇んでいる時に興味半分に「あなたが見えているものがわたしにも見えたらいいのに」と聞いてみたことがあります。

その時は、真剣な顔で「JP、あなたは絶対にそれを望むことはないですよ」と言いました。

わたしは未だに彼が何を日々目にしていたのかはわかりませんが、それでも、イハレアカラがその特異な才能の天明を受けて、日々どれだけ真摯にいのちをかけてクリーニングしていたのかはわかる気がするのです。

ある晴れた日曜の午後、わたしとイハレアカラはビーチを散歩することになりました。
二人の間にあるのは静けさだけで、わたしはその平和さの中に現れる自分のあらゆる思考をただクリーニングしていきました。

そんな中、イハレアカラはぽつりと言いました。

“You know the ocean reflecting cleaning.”
「海は、クリーニングがどんなものなのかを反映しているかのようだね」

波がひいては寄せ、寄せては返す、その動きからクリーニングを思うイハレアカラの後ろをついていくと、彼の絶え間ないクリーニングのリズムを感じることができる貴重な体験となりました。

わたしはイハレアカラの純粋なまでのクリーニングの姿勢を、今でも彼のお気に入りだった楓やオーク、松を見るたびに思い出します。

それらを限りなく尊い存在として触れ見上げていた彼に、わたしは、病の治癒ということを超えて、いのちを神聖なる存在に委ね、本当の自分を生きるという最高の叡智を与えられたように感じます。

理解を超えるほどの感謝をイハレアカラに捧げます。


イハレアカラ・ヒューレン博士
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