わたしは、シングルマザーとしてまだ幼い娘を育てている頃、どのように経済的に自立し、子どもとの貴重な時間をより創造的に過ごすことができるのか悩んでいた時期がありました。
子どもと楽しく過ごしていたらいつかお金に困ってしまうに違いないという不安が目の前に現れる度にクリーニング。一方で、安定した生活をするために手に職をつけようと意気込んでいる自分に気付くときもクリーニング。
そのようにクリーニングしながら1日1日を過ごしていました。
そんな中、どんなに忙しくても、料理をしたり、毎日子どもと一緒に何かを作るという時間を持つこと、それが1日のうちのほんのひとときでも、わたしと娘の中での大切な分かち合いの儀式のようになっていました。
思い起こせば、わたしはいつも食にまつわることが好きでしたし、幼い頃から、ただ食に関わることをお手伝いすることだけでも喜びを感じていました。ホ・オポノポノと出会ってからは、食材や食器、それぞれにもそれぞれのアイデンティティがあることを学び、料理をしながらクリーニングを通してコミュニケーションするようになり、食事を用意することそのものがわたしの癒しとなりました。
クリーニングしながら料理すると、素材そのものがダンスをする様子を目にします。その踊りを邪魔しないということだけ守ると、その料理を食べる人は喜んでくれるということを知りました。
わたしはプロでも、料理のトレーニングをしたこともありませんでした。しかし、経済的にも制約があったり、子どもがいてなかなか外出することが難しかったりする中、会いたい人たちが、わたしの料理を食べに訪れてくれました。
そんな中で、レシピなしで料理をするクッキングクラスをしてほしいという要望を多くいただくようになりました。それぞれの素材の存在を知れば、レシピなしでも料理ができるということを学ぶ、そのレッスンを皆が楽しんでくれるようになり、それがきっかけで、ケータリングシェフをすることになりました。
だいたいのものは自宅で作り、パーティーなどの集まりに届けて、現地で簡単にすっきりと盛り付けするだけなので、娘と離れずにできることでした。
これはわたしの人生において、一時期のできごとですが、ただの良い思い出としてだけではなく、その流れが、わたしたち親子を経済的困窮からも、親子関係においても、精神的豊かさや創造欲求、自己実現においてもすべてを満たしてくれました。
あの日々はわたしにとって宝物です。
多くの人が、夢やアイディアを持っていても、現実に反映されないと嘆きますが、その時に、何が目の前に見えているかに正直になる必要があります。
たとえば、単に料理が好きだということ以前に、あなたが人からの賞賛やそれによって億万長者になっている自分の姿を期待していたり、実は色々なものが見えている可能性があります。
それらは、本来のあなたの神聖なる仕事、才能の妨害になっている記憶ですから、クリーニングすることができます。
詰まりを取り外した時に、新鮮で美しい、いのちの水はあなたを通して、あなたの生活を通して、その場で湧水のように湧いてくるのに気づくことでしょう。
平和
モミラニ・ラムストラム