健康とは、流れの中にいること

わたしは今も、治療の中で、薬や点滴と向き合う日々を過ごしています。
薬を飲む日もあります。
週に一度、治療を受けることもあります。
その中には、体だけでなく、感情にも影響を与える薬があります。

たとえば、治療の一部としてステロイドを使うことがあります。
ステロイドは、血糖値などに影響するだけでなく、怒りやすさにも影響することがあります。
だから時々、自分でも驚くほど、イライラしやすくなることがあります。
ふだんなら気にならないようなことが、何倍にも大きく感じられることがあるのです。

そんな時、妻のマルティーヌはわたしに言います。
「今日は、わたしに近づかない方がいいわね」

もちろん、冗談のように言うのですが、そこには本当のことも含まれています。
その日は、わたしがとても刺激を受けやすくなっているからです。

何かに反応してしまう。
必要以上に強く感じてしまう。
言わなくてもいいことを言いそうになる。

そして後で、わたしは妻に言います。
「ごめんね。そんなつもりではなかったんだ。君のせいじゃない。薬の影響なんだ」

妻はわかってくれています。
けれど、それでもわたしはそのことに影響を受けます。
なぜなら、わたしはそのような人でいたいわけではないからです。
自分ではない誰かのように反応してしまうことは、わたしにとってもつらいことです。

そして、何よりも実際には、薬のせいではないのです。もちろん、薬が作用して精神に影響を及ぼすことは事実ですが、わたしの中にもともとあった記憶が「薬の影響を受け苛立つ」という体験を通して現れているだけなのです。

だからこそ、わたしはクリーニングします。
怒りがあるから、クリーニングが必要なのです。
感情が揺れるから、クリーニングが必要なのです。
自分らしくない反応が出てくる時こそ、クリーニングに戻る機会なのです。

怒りを感じた時、わたしはまず、その時に心に浮かんだクリーニングツールを使うようにしています。
いくつか、自分にとって親しみのあるツールがあります。
なぜかわかりませんが、いつもわたしのそばにあるように感じるツールがあります。

そのひとつが、アイスブルーです。
アイスブルー
アイスブルー
アイスブルー

クラスの中で紹介される数多くのクリーニングツールは、自然と意識に上がってくるものもあれば、長く思い出さないものもあります。
大切なのは、それについて考えすぎないことです。

なぜ今このツールなのか。
これは本当に正しいのか。
もっと別のツールを使うべきなのか。

わたしは、そういうふうには考えません。
ただ、浮かんだものを使います。
ただ、受け入れて、クリーニングします。

今日、わたしは庭で芝生を刈っていました。
あるクリーニングツールがなぜだか浮かんできました。
わたしは質問しませんでした。
ただ使いました。
でも、わからなくていいのです。

わたしはただ、クリーニングします。

薬を飲む時にも、クリーニングします

何年も前、わたしはあるインスピレーションを受け取りました。
薬と一緒にクリーニングしなさい。
それ以来、薬を飲む前に、わたしは薬を見つめ、手に取ることがあります。
そして、心の中でこう言います。
助けてくれてありがとう。

薬は、わたしの治療の一部です。
毎日飲む薬もあります。
週に一度の治療では、点滴で薬を受けることもあります。
静脈に針を入れ、必要な薬を体に入れていきます。

わたしはその時にも、クリーニングします。

ただし、いつも必ず同じようにするわけではありません。
インスピレーションがある時はします。
ない時は、無理にしません。

わたしは、自分に強制しません。
感謝しなければいけない。
こう言わなければいけない。
この通りにやらなければいけない。
そういうものではありません。

インスピレーションがある時、わたしはそれをします。
そうでなければ、流れに任せます。

ホ・オポノポノは、わたしに何かを無理にさせるものではありません。
わたしにできることは、与えられたツールを使い、クリーニングに戻ることです。

医師や看護師たちにも、わたしはクリーニングします

わたしは治療のために、がんセンターへ行きます。
待合室には、たくさんの人がいます。
そこにいる人たちは、それぞれに何かを抱えています。

悲しそうな顔をしている人もいます。
不安そうな人もいます。
懸命に明るくいようとしている人もいます。

がんというものに向き合う場所には、言葉にならない重さがあります。

わたしはいつも、できるだけクリーニングしている自分でそこにいます。

けれど、わたしがクリーニングしているのは、患者だけではありません。
わたしは、看護師たちにもクリーニングします。
医師たちにもクリーニングします。
なぜなら、彼らもまた、とても大きなものを背負っているからです。

患者が良くなっていく姿を見る日もあるでしょう。
でも、そうではない日もあるはずです。

わたしは、最初の腫瘍医のことを覚えています。
ある日、彼女が診察室に入ってきて、わたしに言いました。
「調子の良い患者さんに会えるのは、本当にうれしいことです」

彼女はそれ以上、多くを語りませんでした。
でもわたしは、その言葉の奥にあるものを感じました。

何をクリーニングしているのかはわかりません。
けれど、わからなくてもいいのです。
ただ、クリーニングする。

それが、いまわたしががんを体験していることについて、唯一わかっている理由です。
そうしていると、正しいことが、正しい形で開かれていくように感じます。

期待を持つことはあります。
わたしは、期待がまったくないわけではありません。

がんがなくなってほしい。
もっと長く生きたい。
治療がうまくいってほしい。
体が楽であってほしい。

もちろん、そう思うことはあります。
もしわたしに期待を書き出してほしいと言われたら、きっと一ページ分くらい書けるでしょう。

でも、わたしは知っています。ホ・オポノポノは、期待通りの結果を得るためのものではありません。
このシステムの素晴らしいところは、背景で何が起きているのか、わたしたちにはまったくわからないということです。

わからない。けれど、ツールは与えられています。
そのツールを使うことで、自分にとって正しいものへ導かれていきます。

それは、自分が欲しいものとは限りません。
自分が当然受け取るべきだと思っているものとも限りません。
けれど、自分にとって正しいものです。

クリーニングは、暗闇の中に道をつくるようなものです

わたしたちは毎日、たくさんの決断をしています。
何を食べるか。
何を買うか。
仕事に行くか。
誰に会うか。
何を言うか。
どう反応するか。

その一つひとつを、わたしたちは自分で決めているように思っています。
けれど実際には、わたしたちの中で膨大な情報が再生されています。
意識しているのは、そのほんの一部だけです。

もしわたしたちが記憶の状態にいるなら、その記憶に基づいて決断します。
そしてその決断が、問題や事故、人間関係のトラブルにつながることもあります。

わたしにとって健康とは、流れの中にいることです

流れの中にいる時、わたしたちは自由です。
疑問がない時、わたしたちは流れています。
ただクリーニングし、ただ進んでいます。

もし疑問があるなら、どこかで止まっているのかもしれません。
何かに引っかかっているのかもしれません。

でも、それさえもクリーニングできます。

健康とは、病気が完全になくなることだけではなく、記憶をクリーニングしながら、神聖の流れの中に戻っていくことなのかもしれません。


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2026年6月27日(土)〜28日(日)10:00-17:00

講師 J.P.デルーカ

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