平和が先に訪れる
わたしは今も、治療のプロトコルの中にいます。
がんと診断されたのは、今から23年以上前のことです。
その間に、いくつもの治療を経験してきました。
がんはいったん寛解することもあります。
そして、また戻ってくることもあります。
けれど今のわたしは、そのことを大きく心配していません。
また戻ってきたなら、またクリーニングする。
何が起きているのかを見ながら、必要な治療を受け、必要な人と出会い、必要なタイミングで、またクリーニングを続ける。わたしは今、平和の中にいます。
最初の6ヶ月、わたしは怒りの中にいました。
がんと診断された時、わたしはその知らせをまったく予想していませんでした。
けれど、診断そのものよりもつらかったのは、その予後でした。
医師からは、悪い知らせと良い知らせがあると言われました。
悪い知らせは、それが治癒不能であるということ。
良い知らせは、いくつかの治療法があるということでした。
医師はとても親切な方で、わたしに余命を伝えることはありませんでした。
でもわたしは自分でインターネットを調べ、一般的にどれくらい生きられる可能性があるのかを知りました。
そこから最初の6ヶ月間、わたしは本当に怒っていました。
苦々しく、まるで怒りの火山のようでした。
なぜわたしなのか。
わたしはお酒も飲まない。
タバコも吸わない。
健康的に生きてきた。
それなのに、突然この診断を受けたのです。
さらに、背中には腫瘍がありました。
その腫瘍はT5の椎骨を圧迫していて、脊髄の50パーセントが圧迫されている状態でした。
少し転ぶだけでも、床に落ちた鍵を拾うだけでも、下半身が麻痺してしまうかもしれない。
それほど危険な状態でした。
最初に勧められたのは放射線治療でした。
でも、その治療は何の効果もありませんでした。
診断は重く、最初の治療も効かない。
その現実は、わたしの怒り、失望、フラストレーションをさらに大きくしていきました。
そんな時、古い友人が、わたしを以前参加したホ・オポノポノのクラスへ再び導いてくれました。
その頃、わたしは古い友人に連絡をしました。
彼はボストンでホ・オポノポノのインストラクターをしていました。
彼はわたしを訪ねてきて、こう言いました。
「JP、もしインスピレーションがあるなら、数ヶ月後にクラスをするから来てみないか」
わたしはそのクラスに行くことにしました。
実は、わたしにとってホ・オポノポノは初めてではありませんでした。
1992年頃、まだがんになる前に、わたしはホ・オポノポノのクラスを受けたことがありました。
その頃のわたしは、別のメソッドに興味を持っていました。
マインドコントロールのようなシステムを学んでいて、その流れの中で「もっと力強いものがある」と紹介され、ホ・オポノポノのクラスに参加したのです。
でも、最初に学んだ時、わたしはそれが自分に合うとは感じませんでした。
どうして人はこれを信じられるのだろう。
正直に言えば、そんなふうに思っていました。
何年かクラスには参加しましたが、結局は使わなくなり、一度は離れていました。
けれど、がんと診断された年に、同じ友人がわたしに声をかけてくれました。
クリーニングは進化している。
もう一度、戻ってきてみないか。
そうしてわたしは、2003年にホ・オポノポノへ戻ってきました。
そのクラスに参加した時、わたしは以前との違いに気づきました。
その時のクラスには、たくさんの新しいツールがありました。
そして、初日のクラスが終わった時のことです。
午後5時、クラスが終わり、わたしは一番最初に出口のドアへ向かいました。
その出口のところに、とても小さなツールが置かれていました。
それは、がんに関する思考をクリーニングするためのツールでした。
偶然のように見える出来事でした。
でもわたしは心の中で、こう思いました。
もう一度、これを試してみた方がいいのかもしれない。
そこから、わたしはクリーニングを始めました。
クリーニングを続けていくうちに、わたしの中で変化が起きていきました。
腫瘍がまだある中で、先に訪れたのは平和でした。
がんが消えたわけではありません。
腫瘍はまだありました。
治療も続けなければなりませんでした。
けれど、数ヶ月のうちに、わたしは自分の中に平和を感じるようになりました。
不安がなくなっていきました。
緊張がなくなっていきました。
がんのことを、それほど考えなくなっていきました。
妻のマルティーヌも、その変化に気づきました。
「あなたは変わった。何かが起きた」
そう言われたわたしは、自分がホ・オポノポノを使っていることを話しました。
すると彼女も関心を持ち、次のクラスを一緒に受けることになりました。
この時、わたしにとって大切だったのは、腫瘍が消えたから平和になったのではなかった、ということです。
まだ腫瘍がありました。
まだ治療が必要でした。
まだ状況は不確かでした。
それでも、先に平和が訪れたのです。
その後、腫瘍が消えたという知らせを受け取りました。
その後、わたしは最初の治療プロトコルを始めました。
治療を始めて2週間ほど経った頃、神経科医から電話がありました。
「JP、素晴らしい知らせがあります。腫瘍が消えました。脊髄はきれいです」
脊髄を圧迫していた腫瘍が、消えていたのです。
放射線治療では何も起こりませんでした。
化学療法も、それほど大きな効果は期待できないと言われていました。
それでも、腫瘍は消えていました。それが化学療法によるものだったのか、クリーニングによるものだったのか、わたしにはわかりません。でもわたしは、その後もクラスに通い、クリーニングを続けました。
がんが完全になくなったわけではありません。
その後も、寛解したり、戻ってきたりしました。
いくつもの治療プロトコルを経験しました。
けれど今では、それを数えることにあまり意味を感じていません。
がんが戻ってきたなら、また戻ってきた。
クリーニングを続けよう。
必要な時に、正しい医師、正しい人、正しい治療に出会えるように。
それが、今のわたしの姿です。わたしはがんフリーではありません。でも、幸せです。
わたしは今も、完全にがんがない状態ではありません。
それでもわたしは、幸せな人間です。ストレスがあれば、またクリーニングすれば良いのです。
薬を飲む日もあります。
週に一度、治療を受けることもあります。
治療の影響で、感情が揺れることもあります。
けれど、わたしの人生にはたくさんの祝福があります。
わたしたちは結果をコントロールしているわけではありません
ホ・オポノポノを続ける中で、わたしが学んできたことがあります。
わたしたちは嘆願をしているだけです。
結果をコントロールしているわけではありません。
もちろん、わたしにも期待はあります。
がんがなくなってほしい。
もっと長く生きたい。
良い結果になってほしい。
そう思うことはあります。でも、ホ・オポノポノは、自分が望む結果を注文するためのものではありません。
ヒューレン博士がわたしに言った言葉があります。
「神はわたしたちのコンシェルジュではありません」
わたしたちは嘆願をします。今わたしの目の前に起きていることが一体なんであれ、その本当の原因となっている自分の内側にある記憶を手放し、解放してくれるように。
しかし、何が正しいのかを決めるのは神聖です。
自分にとって正しいことは、自分が望んでいることと同じとは限りません。
わたしはがんフリーになりたいと思っています。それをこねくり回す必要はありません。
しかし、その思いをわたしがストレスとして感じる時は、それをクリーニングします。
病という体験を通して現れることに気づくたびにわたしはクリーニングします。
がん患者だからといって人生で起きることは決して「がん」にまつわることだけではありません。
毎日クリーニングする機会に恵まれています。そのどれが何とつながっているのかわたしにはわからないけれど、わたしはただクリーニングして、今に戻りたいのです。
最初に医師から示された見通しよりも、わたしはずっと長く生きてきました。
23年以上、がんと共に歩みながら、今も人生を楽しんでいます。
わたしの仕事は、クリーニングすることです。
ホ・オポノポノに戻ってから、わたしは少しずつ自分の役割を理解していきました。
わたしの仕事は、がんを消すことではありません。
自分の思い通りに結果を変えることでもありません。
わたしの仕事は、クリーニングすることです。
クリーニング。
クリーニング。
クリーニング。
それが、わたしの人生の意味なのだと思います。
わたしは、自分が何をクリーニングしているのか、いつもわかっているわけではありません。
どの記憶が、どの出来事とつながっているのかもわかりません。
けれど、根本原因は記憶です。
だからわたしは、その記憶をクリーニングします。
何が背景で起きているのかはわかりません。
それでも、クリーニングを続けていると、必要なことが必要なタイミングで開かれていきます。
必要な人に出会う。
必要な医師に出会う。
必要な治療に出会う。
必要な道が開かれていく。
わたしにとってホ・オポノポノは、がんを治すためだけの方法ではありません。
人生そのものの歩き方です。
平和は、一瞬で来たのではありません
わたしに平和が訪れたと言っても、それはスイッチを入れるように突然起きたわけではありません。
最初は怒りがありました。
激しい怒りがありました。
苦しみがありました。
なぜ自分なのか、という思いがありました。
けれど、クリーニングを続ける中で、それは少しずつ変わっていきました。
怒りから、平和へ。
緊張から、安心へ。
がんのことばかり考えていた状態から、ただ自分でいられる状態へ。
その変化は、ゆっくりと進んでいきました。
だからわたしは、重い感情の中にいる人が、すぐに結果を求めてしまう気持ちもわかります。
悪い診断を受けたばかりの時。
家族や子どものことが頭にある時。
あと数ヶ月、あと数年かもしれないと言われた時。
その中で、ただクリーニングに集中するのは簡単ではありません。
わたしはそれを否定しません。
それがどれほど難しいことか、わたしにもわかります。
でもわたしは、このシステムに出会い、もう一度戻ってくることができたことを、本当に幸運だったと思っています。
わたしたちは、よくこう考えます。
病気が治ったら、平和になれる。
問題が解決したら、安心できる。
相手が変わったら、許せる。
状況が整ったら、感謝できる。
でも、わたしの体験は少し違いました。
病気がまだある中で、平和が訪れました。
結果がまだ見えていない中で、心が静かになりました。
未来が確定していない中で、今日を祝福として受け取れるようになりました。
それは、病気を軽く扱うことではありません。
問題をなかったことにすることでもありません。
痛みを無理に感謝へ変えることでもありません。
ただ、クリーニングするのです。
結果をコントロールしようとする手をゆるめる。
何が正しいのかを神聖に委ねる。
そして、記憶をクリーニングする。
その時、状況がまだ変わっていなくても、内側に平和が戻ってくることがあります。
わたしは、自分が何をクリーニングしているのか、すべてを知っているわけではありません。
何が背景で起きているのかもわかりません。
なぜこの出来事が起きているのかも、いつも理解できるわけではありません。
でも、ツールは与えられています。
だからわたしは、クリーニングします。







