どんな重責があろうとも、どんなに鬱屈していようとも、どんなに興奮に満ちたものであろうとも、あなたという存在は日々変化しています。
わたしたちは毎日、毎瞬新しい人間になっているのです。新しい思考、インスピレーションそれの何を選択するかによって、常に自分自身、そしてあらゆる外側の現実もその彩や形を変化させています。
クリーニングする度に記憶は消去され、わたしたちはまた新しい記憶を消去する準備ができています。それはまるで絶えず形を変化させながら回り続けるメリーゴーランドのようです。
そんな中、わたしたちがいつの日から感じ始めたその責任は、まるで荷物がパンパンに詰め込まれた重いリュックサックのようです。
しかも、仕事なら仕事の、育児なら育児の、家のローンならローンのそれぞれの重いリュックを一度に背負って生活しているような感覚。
どんなに楽しく美しい道のりも、あまりに重い荷物を永遠に運ばされているとしたら、そしてそこにゴールが見当たらないのだとしたら、それは苦痛な旅路となってしまいます。
わたしも以前はそのようにいくつもの重いリュックサックを抱えていました。しかし、あるときホ・オポノポノと出会いわたしは立ち止まったのです。そこからわたしにとって責任の重みは消えました。リュックサックは消えてなくなったのです。
そして、責任はわたしが歩む道のまるでコンパスのようになりました。問題や出来事が現れる度に、わたしがすべきことを明確にすると、わたしは以前に増して軽やかで明確な一歩を踏み出すことができます。責任とは、いうならば、物事が神聖なる存在の意図として、改善を生み出すためにあるものなのです。
何かがほしい、達成したいと思った瞬間からあなたがもしも重責を感じることが現れるとしたら、あなたの本当の責任は、その体験をクリーニングすることなのです。
あなたの本当の責任は、その重い記憶を手放して、自由の一歩を進むことなのです。同じ道の上にいようと、現実はその時必ず変化しています。
平和
クラウディウ・ラパダット