子どもを実際にどこか外出させる時というのはいつもドラマチックです。彼らは一筋縄では「イエス」とは言いません。外出先にわざわざ重たい荷物を持って行こうとしたり、ささっと歩いてしまえば良い一本道をなぜかゆっくり歩いたりしますよね。冷たいものがほしいといえば、次の瞬間は冷たすぎることに腹を立てたりします。
例えば、わたしが子どもたちに、おばあちゃんのところに遊びに行こうと誘うと、「なんでだよ、やだよ〜、つまらないよ!」と大人にとっては好ましくない反応をしました。
しかし、実際にその場に連れていくと、彼らはいつも誰よりも創造力豊かにその場所を過ごし、雰囲気まで変えてしまう力があります。または、失礼なことを年配者に言って、ことを大きくしてくれるようなことを平気でしでかします。しかし、それはわたしが今、本当に見るべきことなのです。どんなにその場を凍り付かせるようなことであろうと、実際に今クリーニングしなくてはいけないことです。
それを、子どもがいない状況でも当てはめることができます。
なぜって、わたしの内側にはもう一人の本当の自分、ウニヒピリがいるのですから。
仕事になかなか取りかかれない気持ち、せっかく期待して行った友人たちとの集まりで失言してしまったり、うまく振る舞えなかったり、決して子どもたちだけでなく、自分こそが扱いに困る存在だと感じたことはありませんか?
そんな自分自身のしくじった体験に幻滅しようとも、その時起きたこと、感じたこと、してしまったことは、自分が今見るべきことなのです。
今クリーニングしなければいけないこととしてウニヒピリが見せてくれていると本当に気づいた時、わたしの中にもともとある責任能力が目覚めます。
クリーニングして、その時すべきことが明確になります。なぜならば、優先順位というのは、神聖なる存在しかわからないものだから。
あなたとウニヒピリがつながった時、はじめてその優先順位は考えではなく、あなたのもとに明確に現れます。
どんなことが起きようと、今どんな人間関係があなたを取り巻いていようと、どんな心身の状態であろうと、あなたは大丈夫。
あなたには、誰にも劣ることのない責任能力があります。
平和
クラウディウ・ラパダット