この文章に会いにきていただきありがとうございます。
「SITHホ・オポノポノ」と、この叡智を
1982年11月から惜しみなくわたしに与えてくれたカフーナ・ラパアウのモーナ・ナラマク・シメオナ女史、どちらもわたしにとってかけがえのないたいせつな存在です。
イハレアカラ・ヒューレン博士
英語バージョンはコチラから
(以下は、2005年1月9日から始まったヒューレン博士の日記を抜粋したものです。)
2005年1月9日
どんな問題でも、「いったいなんでこんなことが起こるのか!」という理由を知らなくてもあなたはその問題を解決できます。 (そして、このことが自分にとっての「解放」「ほんとうのよろこび」にむけられていることに気づき、感謝することさえできます。
「SITHホ・オポノポノ」とは問題の解決、つまり”ものごと”それ自体のほんとうの姿、目的を知ることです。
「”わたし”は何者か」
「誰の責任か」
問題解決に必要な自分に発する2つの問いです。
「汝自身を知れ」
宇宙の法則を理解するために、ソクラテスのことばをお借りしましょう。
2005年1月21日
「誰の責任か」
科学者を含めほとんどの人が、形のある物理的な存在として世界と関わっています。
心臓病、癌、糖尿病の原因特定と治療法の確立を目的とした最近のDNA研究はそのような関わり方のよい例です
原因と結果の測定
物理的研究事例モデル | |
原因 | 結果 |
不完全なDNA | 心臓病 |
不完全なDNA | 癌 |
不完全なDNA | 糖尿病 |
物理的 | 肉体的な問題 |
物理的 | 環境の問題 |
知性、つまり「意識」はつねに思い込んでいます。
問題を解決できる者が、この世界でおきるものごとや体験することすべてを把握し、支配しているのだと。
『ユーザーイリュージョン・意識という幻想(邦題):意識の過剰評価をやめよ』 の中で、著者で科学ジャーナリストのトール・ノーレットランダーシュは全く違った角度から「意識」をとらえています。
サンフランシスコにあるカリフォルニア大学医療センターのベンジャミン・リベット教授は『行動の決断は、意識が認識する前に、すでになされている』という研究を引用し、こう述べています。 「知性は意識をしないまま、決断していると思い込んでいるに過ぎない」
パターン
生まれた瞬間から
死のまぎわまで
従わなければならない様々なパターンがある
呼吸をしなければならないように・・・
迷路の中のネズミのように
僕の前には道が続く
そしてそのパターンは
ネズミが死ぬまで決して変わることがない
夜のとばりが降りた今も
模様は壁に残っている
そしてそれは
僕が住むべき暗闇に似合っている
この肌の色や
いずれやって来る老いる日のように
どうにも変えられないパターンで
僕の人生はできている
-ポール・サイモン 詩人
ノーレットランダーシュによれば、人間は毎秒1100万ビット以上の情報を得ながら「知性」として意識できるのは、15ビットほどの情報だけです。
知性や意識が問題を解決できなければ、それはいったい誰の責任なのでしょう?
2005年2月8日
記憶の再生が、潜在意識が体験することを支配している。
潜在意識は、なんどもなんども繰り返し再生される記憶を同じように、なんどもなんども体験しているに過ぎません。 記憶に支配された潜在意識は、記憶のとおりまったくそのまま行動し、見て、感じ、決定します。意識もまた、知らないうちに記憶の再生に従って動いています。 様々な研究事例が示すように、記憶の再生こそが、あなたの体験そのものを動かしています。
原因と結果の測定
SITH ホ・オポノポノ | |
原因 | 結果 |
潜在意識の中で再生される記憶 | 物理的に-心臓病 |
潜在意識の中で再生される記憶 | 物理的に-癌 |
潜在意識の中で再生される記憶 | 物理的に-糖尿病 |
潜在意識の中で再生される記憶 | 物理的な問題-肉体 |
潜在意識の中で再生される記憶 | 物理的な問題-世界 |
からだと世界は、記憶の再生として、またはごく稀にインスピレーションとして潜在意識の中にすでに存在しています。
2005年2月23日
“たましい”を包括している潜在意識や意識は、それ自体が自らのアイデア、考え、感情、行動を引き起こしているのではありません。既にお伝えしたように、潜在意識や意識は、記憶の再生かインスピレーションを追体験しているだけです。
しかし人はとかく、めいめい思い思いに、
物事の本質には無関係な解釈を下すものです
-ウィリアム・シェイクスピア 脚本家
つまりどんな体験であっても、”たましい”それ自体が問題をうみだしているのではないと知ることがとてもたいせつです。
“たましい”は、
記憶が見るように見ます。
記憶が感じるように感じます。
記憶が振る舞うように振る舞います。
記憶が決めたように決めます。
あるいはごく稀に、
インスピレーションが見て、感じ、振る舞い、決定するように
“たましい”も見て、感じ、振る舞い、決定しています。
記憶 か インスピレーション
そのどちらかです。
問題解決のカギ。
それは、からだや世界に問題があるのではなく、潜在意識の中で繰り返し再生される記憶が結果としてからだと世界にあらわれる、このことを知ることです。
あわれな魂よ、肉欲の反乱軍に制圧された
罪深い土くれの、その中心にあるものよ
どうしておまえは外壁をぜいたくに飾りながら
内側ではやせおとろえ、飢えに苦しむのだ?
-シェイクスピア 脚本家
2005年3月12日
“無(ゼロ)”
それは「ほんとうの自分」「こころ」「宇宙」のもとです。
つまり神聖なる存在(ディヴィニティー)が潜在意識の中にインスピレーションを吹き込むときにある状態です。
科学者が知っているのは、宇宙が”無”からうまれたこと、そして”無”に帰るということだけである。
宇宙はゼロからはじまり、ゼロに終わるのだ。
チャールズ・サイフェ、異端の数ゼロ:数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念(邦題)
記憶が再生されるとすぐに自分の中の”無”の状態ではなくなり、インスピレーションも遮られます。この状態を修復し、自己を立て直すためには、神聖なる存在(ディヴィニティー)の力を借りて、記憶を”無(ゼロ)”に変換する必要があります。
クリーニングして、消去して、消去して、自分だけのシャングリラを見つけるのです
どこに? あなた自身の中に。
-モーナ・ナラマク・シメオナ、カフーナ・ラパアウ
どんな石の塔獄も、どんな黄銅(真鍮)の城壁も、
どんな深い穴牢も、どんな堅固な鉄の鎖も、
斯うと決心した精神を制抑する力は無い。
-ウィリアム・シェークスピア 脚本家
2005年3月22日
“わたし”という存在そのものは神聖なる存在から与えられたおくりものです。
そして、そのおくりものは問題を解決し、自己(ほんとうの自分)を再構築するために与えられました。
他を裁かないこと。そうすれば、あなたも裁かれないでしょう。
非難しないこと。そうすれば、あなたも非難されないでしょう。
許せば、あなたも許されるのです。
イエス・キリストの言葉 ルカの福音書6
ホ・オポノポノでは、
●神聖なる存在(ディヴィニティー)
●超意識(アウマクア)
●表面意識(ウハネ)
●潜在意識(ウニヒピリ)
この4つの要素が”自己(セルフアイデンティティー)”を形成しています。
この4つが、ひとつの共同体として一緒に働きます。
わたしたちの問題のほんとうの原因は、潜在意識(ウニヒピリ)の中で記憶が再生され続けることです。それを解決するため、それぞれの要素にはユニークな役割と機能があります。
超意識(アウマクア)は、
常に記憶から自由な状態です。潜在意識(ウニヒピリ)の中で再生される記憶の影響は受けません。いつでも神聖なる存在(ディヴィニティー)と一体です。
神聖なる存在がどのように動くときでも、超意識(アウマクア)はいっしょに動きます。
“自分”を操作するのは、インスピレーションか記憶、そのどちらかです。
インスピレーションか記憶、そのどちらかが一瞬ごとに潜在意識(ウニヒピリ)に対して行動を決定することができます。
“ほんとうの自分”というたましいは、その瞬間どちらか一方の指示にしか従えません。
インスピレーションというバラの花ではなく、たいてい記憶のトゲに向かっています。
1
2005年4月30日
私は自ら悲しみを作りだしては、消費しているにすぎない
-ジョン・クレア 詩人
「無(ゼロ)」それは有機物、無機物に関わらず、すべての自己(セルフアイデンティティー)が共有しています。
「無(ゼロ)」それはバランスです。
「無(ゼロ)」それは目で見えても、見えなくても、永久不滅の存在。
「無(ゼロ)」それは全宇宙の基盤です。
われらは以下の真理が自明のものであると認識する。
すなわちすべて人間(とすべてのいのち)は平等な存在として
この世に生まれているということを。
-トマス・ジェファーソン 独立宣言著者
記憶が再生されると、自己(ほんとうの自分)の大前提そのものが変わり、
もともとは無(ゼロ)、そして無限であった状態からこころの魂は離れていきます。
しかし記憶によって無(ゼロ)の状態から変わってしまうことができても、破壊することはできません。
何もない無(ゼロ)を壊すなんてどうやってできるのでしょう?!
ばらばらに分れた家は、立っていることができない
-アブラハム・リンカーン 合州国大統領
2005年5月5日
自分が”ほんとうの自分”であるために必要なこと。
それは毎瞬毎瞬の絶え間ないホ・オポノポノです。
記憶と同じで、
ホ・オポノポノは絶えることなく休暇をとることはありません。
ホ・オポノポノは絶えることなく、リタイアすることもありません。
ホ・オポノポノは絶えることなく、決して眠りません。
ホ・オポノポノは絶えることなく、決して止まることはありません。
「・・・たとえすばらしいと思える日々の裏側でも、常に記憶は再生され続けています。」
-ジェフリー・チョーサー詩人
2005年5月12日
表面意識(ウハネ)は、ホ・オポノポノのプロセスによって記憶から解放されることもできますが、非難や思考によって記憶に縛りつけられたままでいることもできます。
① 表面意識(ウハネ)がホ・オポノポノという問題解決のプロセスを始めると、神聖なる存在(ディヴィニティー)に記憶を無(ゼロ)に変換してくれるようお願いします。 潜在意識(ウニヒピリ)の中で起きている記憶の再生こそが問題そのものであると理解し、自分に100%責任があることを認めます。そして、そのお願いは表面意識(ウハネ)から潜在意識(ウニヒピリ)に降りていきます。
② 潜在意識(ウニヒピリ)へ流れ降りたそのお願いは、記憶をやさしくかきまぜて変換に導きます。そこでようやくお願いが、潜在意識(ウニヒピリ)から超意識(アウマクア)へと昇っていきます。そして・・・
③ 超意識(アウマクア)は潜在意識(ウニヒピリ)からたどり着いたお願いを整え、修正します。常に神聖なる存在(ディヴィニティー)と同じ波調にいる超意識(アウマクア)だからこそ、 正しく整えることができます。そこで初めてお願いが神聖なる存在(ディヴィニティー)のもとに届けられ、最終的な精査・検討がなされます。
④ 神聖なる存在(ディヴィニティー)は変換というエネルギーを超意識(アウマクア)へ流し込みます。
⑤ 変換のエネルギーは、超意識(アウマクア)から表面意識(ウハネ)へと流れていきます。
⑥ そして表面意識(ウハネ)から潜在意識(ウニヒピリ)へと流れたら、指名された記憶は中和され、効力を失います。中和された記憶のエネルギーは解放され、無となり去っていきます。
2005年6月12日
思考や非難、それ自体も記憶の再生が原因でうまれます。
たましいそのものは、今一体何がおきているのかを理解しなくても、神聖なる存在(ディヴィニティー)からインスピレーションを受け取ることができます。
インスピレーションを受け取るために必要なこと。
それは、ただひとつ、自分が”ほんとうの自分”でいるということです。
そして、”ほんとうの自分”であるために必要なことは、
毎瞬毎瞬、記憶をクリーニングすることです。
記憶はどんなときも潜在意識(ウニヒピリ)といっしょです。
記憶がお休みをとって潜在意識(ウニヒピリ)と離れることはありません。
退職して、潜在意識(ウニヒピリ)から去っていくこともありません。
記憶は絶え間なく再生し続けています!
『法律家の話』
あぁ、突然のような悲痛でさえ身近なものだ
現世の至福にこそ苦しみは散在し
苦労して得た歓喜の末に待っているのはいつも、悲痛なのだ
よく用心するがよい
喜びに心満たされるときも、
知られざる悪が背後で頭をもたげていることを!
ジェフリー・チョーサー「カンタベリー物語」
記憶との関係をきっぱり絶つためには、記憶をきっぱりとクリーニングして、無(ゼロ)にしなければなりません。
わたしが人生で2度目の恋に落ちたのは、1971年アイオワでのこと。
かけがえのない娘、Mが生まれました。
妻がMの世話をする姿を見るたびに、妻とMへの愛がどんどん深くなっていきました。
素晴らしい、かけがえのない家族ができたのです。
ユタで大学院を修了したその夏、妻とわたしは二つの選択肢を迫られていました。ハワイの自宅に戻るか、アイオワ州で大学院のトレーニングを続けるか。
そしてアイオワでの生活を選びました。
生活をスタートさせてすぐに二つの困難に直面しました。
一つめは、娘のMが生まれ退院してからというもの、泣き止まなくなってしまったこと。
二つめは、アイオワ州の歴史上最悪の冬がやってきたこと。
何週間も毎朝アパートの正面玄関の下を内側から蹴ったり、ツチでドアのへりを打ったりしないとあつく固まった氷によって、家の外に出られないのです。
はじめの一年間、Mの毛布は常に血まみれでした。この文章を書いている今になって気づいたのですが、Mがとめどなく泣いていたのは、肌のひどい不調に対する反応だったのです。
Mが眠りながら発作的に体中をかきむしる姿を見るたびに、自分の無力さに愕然とし、わたしは幾晩も泣いて過ごしました。そしてステロイド系の薬は、何の助けにもならないことも知りました。
Mは3歳になっても、肘とひざにできたひびから絶え間なく血が染み出ていました。Mの両手足の指の関節まわりのひびからは血がしたたっていました。
うでと首の周りには固い皮膚の厚いマントがおおっていました。
それから9年後のある日、Mが12歳だったでしょうか。
その頃わたしたちはハワイに戻っており、Mと下の娘を車に乗せて帰途についていたのですが、
突然、ただ無意識に車の向きを変え、ある女性のオフィスへ向かうため、ワイキキへ車を走らせていたのです。
「まあ、私に会いにきたのね」
わたしたち3人が彼女のオフィスに入るとモーナはささやきました。自分のデスクの書類をまとめながら、モーナはMを見上げて「私に何か聞きたいことがあるのね?」と優しく言いました。
するとそれまでだまっていたMは、突然両うでを広げて動かしました。
まるでフェニキア文字が刻まれたような傷を見せるかのように。これまで何年も何年も積み重ねてきた痛みと深い悲しみをようやく打ち明けるかのように。
「分かったわ」モーナはそう答えると、目を閉じました。
モーナがしたことは何かって?
SITHホ・オポノポノの創始者自らがホ・オポノポノ、つまり”ほんとうの自分”をしてくれたのです。13年におよぶ出血、恐怖、痛み、深い悲しみ、薬物療法のすべてが1年後、ついに終わりを迎えました。
SITHホ・オポノポノの一生徒より
2005年6月30日
人生の目的
それは、”ほんとうの自分”になることです。
“ほんとうの自分”とは、神聖なる存在(ディヴィニティー)が創造したその正しい形、つまり無(ゼロ)と無限である状態です。
人生で体験することはすべて、記憶の再生、またはインスピレーションです。
鬱、思考、非難、貧困、憎しみ、怒り、痛みは、シェークスピアがソネットで表現したように「・・・過ぎ去った悲しみ、昔の嘆きを今改めて嘆き直している」状態です。
今この瞬間からクリーニングを始めるか、絶え間なく続く記憶の再生か。
表面意識(ウハネ)はそのどちらかをいつでも選択することができます。
2005年12月12日
表面意識(ウハネ)そのものはあまりにも独善的で、神聖なる存在(ディヴィニティー)が与えてくれた最もたいせつな贈りもの:”ほんとうの自分”に気づきません。
同時に、「ほんとうの問題は一体なんなのか?」ということにも気づいていません。
このことによって真の問題解決はなく、成果のない結果に終わります。
可哀想なたましいは、絶え間なく続く不必要な痛みとともに生涯とり残されたままなのです。
なんと悲しいことでしょう。
表面意識(ウハネ)は、”ほんとうの自分”という贈りものに気づくこともできるのです。
だってそれは、理解を超えるほどのほんとうのしあわせなのですから。
“ほんとうの自分”は、あらゆるものを創りだした神聖なる存在(ディヴィニティー)のように決して破壊されることのない、永遠の存在です。
何世紀にわたって繰り返される無意味で容赦のない貧困、病気、戦争、死という、誤った現実は、無知こそがつくりあげた結果です。
2005年12月24日
物質とは、記憶の再生、またはインスピレーションの表れ。
つまり、自分の中で起きている現象そのものです。
“ほんとうの自分”になりさえすれば、物質もその通りに状態を変えます。
誰の責任か?・・・
インスピレーション、それとも記憶?
どちらを選ぶかは、表面意識(ウハネ)=あなた次第です。
2006年2月7日(2006年に飛びます)
次に続くSITHホ・オポノポノにおける問題解決のための4つのプロセスをすると、潜在意識(ウニヒピリ)の中で再生される記憶を無(ゼロ)にして、”ほんとうの自分”を再構築することができます。
1.「愛しています (I love you.)」
なんでも問題を体験していると感じるとき(記憶が再生されているとき)、こころの中または実際に「愛しています( I love you )」と言ってみます。
「あなた(再生されている記憶)も私もいっしょに自由になる機会が与えられていること、ほんとうにありがとう。愛しています。」と記憶をクリーニングして消去するスイッチになります。
問題を感じないときでも、どんなときでも「愛しています」とこころの中で繰り返すといいです。休暇をとらない記憶は、自分からすすんで手放さない限り、決してなくなりません。
「愛しています」は問題そのものを意識していないときでも使えます。例えば、電話に出る、あるいは車に乗ってどこかへ出かけるなど、何か行動を起こす前にも使えます。
汝の敵を大切にせよ、
汝を嫌うものに、善きことをせよ。
イエス・キリストの言葉 ルカの福音書6
2. 「ありがとう(Thank you.)」
このプロセスは、「愛しています」と一緒に、または「愛しています」のかわりに使うことができます。「愛しています」同様、心の中で「ありがとう(Thank you)」と何度も繰り返してください。
3. ブルーソーラーウォーター
お水をたっぷり飲むことは、問題解決のための素晴らしい方法のひとつです。
そのお水がブルーソーラーウォーターであればなおクリーニングの効果があります。
- フタがついた青いガラス製の容器を用意してください。(金属製のフタ以外)
- 水道水を容器に入れ、日光の下か白熱灯の下に1時間以上置いておきます。
- この手順でできたお水がブルーソーラーウォーターです。
出来上がったブルーソーラーウォーターはインスピレーションにしたがって色々な使い方ができます。お水としてはもちろん、お茶や、スープとして飲んだり、料理に使ったり、お風呂に混ぜたり、かけ湯として使ってもよいでしょう。フルーツや野菜たちもブルーソーラーウォーターで洗うと喜びます!「愛しています」「ありがとう」のプロセスと一緒に、ブルーソーラーウォーターは潜在意識(ウニヒピリ)の中で再生される記憶を無(ゼロ)にします。
さあ、飲んで流し去ってしまいましょう!
4. いちごとブルーベリー
これらのフルーツは記憶を無(ゼロ)にしてくれます。
生でもドライフルーツでも、ジャムやゼリー、アイスクリームにかけるシロップでも構いません!
2005年12月27日(2005年に戻ります)
ほんの数ヶ月前、SITH ホ・オポノポノに必要不可欠な「18の性質」がそれぞれまるでセリフをしゃべっているように用語をまとめてみては?と思いつきました。
楽しんで読んでみると、自分の中でどんどんなじんでいくはずです。
わたしは”ほんとうの自分”です。
4つの要素からなっています。
「神聖なる存在」「超意識」「意識」「潜在意識」です。
わたしは無(ゼロ)と無限からなっています。
神聖なる存在をそのまま真似します。
わたしは神聖なる存在です。
わたしは無限です。
わたしはすべての”ほんとうの自分”と”インスピレーション”を創ります。
わたしは記憶を無(ゼロ)に変換します。
わたしは超意識です。
わたしは意識と潜在意識を監督しています。
意識がホ・オポノポノというお願い(記憶の消去)を始めると、
わたしはそれに更に磨きをかけ、適切な形に整えてから神聖なる存在に届けます。
わたしは潜在意識の中で再生される記憶に影響されることはありません。
わたしはいつも神聖なる存在とひとつです。
わたしは表面意識です。
「選択」という贈りものが与えられています。
わたしは記憶が潜在意識やわたし自身の中で繰り返し再生することを許すことができます。
わたしは同時に”ホ・オポノポノ”をすることで記憶を消去し潜在意識を解放することができます。
わたしは”神聖なる存在”からのお知らせをうけとるためにお願いすることができます。
わたしは潜在意識です。
この世のはじまりからずっと溜め込まれてきたすべての記憶の保管庫です。
すべてのものごとは、わたしの中で「記憶」か「インスピレーション」として体験されます。
からだと世界は、わたしを通して「記憶」か「インスピレーション」として存在しています。
記憶の反応として問題が住む場所、それがわたしです。
わたしは無です。
わたしは自分と宇宙の基盤です。
わたしは神聖なる存在からインスピレーションが湧き出る場所です。
わたしは無限です。
潜在意識の中で記憶が再生されるときわたしは押しやられます。
わたしはそんなときも破壊されることはありません。
わたしは神聖なる存在から溢れ出るインスピレーションを阻むことはしません。
わたしは無限です。
わたしは神聖なる存在です
インスピレーションはまるではかないバラのように、わたしからほんとうの自分にある「無(ゼロ)」に注がれ、記憶というトゲによってたやすく曲げられてしまいます。
わたしはインスピレーションです。
わたしは無限の神聖なる存在によって創られたものです。
「無(ゼロ)」からあらわれ「潜在意識(ウニヒピリ)」の中に流れます。
わたしはまったく新しいものとして体験されます。
わたしは記憶です。
わたしは「潜在意識(ウニヒピリ)」の中に記録されている過去の体験です。
わたしは引き金が引かれると、過去の体験をそのまま再生します。
わたしは問題です。
わたしは「潜在意識(ウニヒピリ)」の中で繰り返し再生される過去の体験です。
わたしはつまり記憶です。
わたしは体験です。
わたしは「潜在意識(ウニヒピリ)」の中で起こっている記憶の再生の結果です。
または
わたしは「潜在意識(ウニヒピリ)」の中で起こっているインスピレーションの結果です。
わたしはOS(経常システム)です。
わたしは「無(ゼロ)」、「インスピレーション」、「記憶」を使って自分自身を操作しています。
わたしはホ・オポノポノです。
1983年に”Living Treasure of Hawaii”(ハワイの人間州宝)に認定されたカフーナ・ラパアウ・モーナ・ナラマク・シメオナが古代ハワイの問題解決プロセスを現代に適応できるようにしました。
それがわたしです。
わたしは3つの要素「悔悟」・「許し」・「変換」から構成されています。
わたしは「表面意識」が「神聖なる存在」にする”お願い”です。
わたしは記憶を無(ゼロ)にして「ほんとうの自分」を再構築します。
「表面意識」によってわたしは開始されます。
わたしは悔悟です。
ホ・オポノポノのプロセスは、わたしからスタートします。
わたしは表面意識が「記憶を無(ゼロ)にしてください」と神聖なる存在にする”お願い”です。
わたしといっしょにいることで表面意識は責任を自覚します。
潜在意識(ウニヒピリ)のなかで記憶が再生される問題は
すべて自分が創りだし、受け入れ、溜め込んできたものだという責任を。
わたしは許しです。
わたしは悔悟と同時に行われます。
わたしは表面意識が「記憶を無(ゼロ)にしてください」と神聖なる存在にする”お願い”です。
意識は悲観しているだけでなく、神聖なる存在に対して許しを請うているのです。
わたしは変換です。
神聖なる存在は、わたしを使って潜在意識(ウニヒピリ)の中にある記憶を中和し、解放します。
わたしは富です。
わたしはほんとうの自分です。
わたしは貧困です。
わたしは記憶の再生そのものです。
わたしは「ほんとうの自分」を妨害します。
わたしは潜在意識(ウニヒピリ)が神聖なる存在からインスピレーションを受け取るのを妨げます。
最後に皆様にお伝えしたいことがあります。
SITHホ・オポノポノのクラス受講前にこの記事をお読みいただくことでクラスに参加する準備ができます。
すべての理解を超えるほどの平和が訪れますことを・・・
O Ka Maluhia no me oe.
平和があなたとともにありますように。
イハレアカラ・ヒューレン博士
この記事を執筆するにあたって監修を努めてくれたKR、HW、OH、JV、ありがとう。
そしてウェブサイトに公開するにあたり、準備をしてくれたOHに、重ねて感謝の意を表します。
ありがとう。