お金さえあれば、幸せになれる、人を幸せにできる、と誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
お金さえあれば、もう少し大きな家に住めて、生活が充実するはず。
お金さえあれば、得意な語学をさらに伸ばすために留学して、もっと大きな会社に勤められたはず。
お金さえあれば、両親にもっと楽をさせてあげられたはず。
お金がもう少しあれば、幸せはきっともっと近くに感じるような気がするけれど、不思議と近いようで遠く感じる「お金」。
このお金について、モミラニ講師に聞いてみました。
Q. お金とは何ですか?
お金とは、野生動物に似ています。
とても美しく、個性的で価値があり、魅力的で近づきたい、家に連れて帰って、飼い慣らしたいとあなたは思います。
しかし、その動物はとても敏感で、あなたの家の庭にまではきてくれるけれど、あなたが思っているように、家の中に入って、あなたの用意した餌を食べて、いつまでも家にいてくれるとは限りません。
わたしたちの好きなように振舞ってくれるわけでも、芸をしてくれるわけでもありません。お金はいわば生き物で、あなたはその姿に魅せられてはいるけれど、その生態を理解しているわけではないし、わたしたちはそれをどうしても、自分たちの思うように管理したいと思ってしまう、お金とはそういう存在です。
Q. どうやったらお金をクリーニングできますか?
お金には、長い歴史をかけてあらゆる記憶が関わってきました。
国と国の交流、人の食、結婚、家庭、宗教、戦争、あらゆるものがあらゆる通貨とともにそこに存在してきました。
ですから、わたしたちが、お金や経済に問題を感じた時、クリーニングを始めますが、お金をクリーニングしたときに、実はわたしたちが扱っているのは、それだけの計り知れない多くの歴史や出来事なのです。
ですから、簡単なこととは言えませんよね。
そこで、何からクリーニングしていけば良いのか、わたしが提案させていただくとしたら、自分のお金への判断からクリーニングしていくことです。
あらゆる判断をクリーニングすることで、わたしたちは神聖なる存在のフロー、流れに戻ることができます。それはあなた自身を常に神聖なる存在に向けて、開いているということを意味します。
Q. 神聖なる存在に自分を開くとはどんなことですか?
故モーナはよくわたしにこんな例え話をしていました。
ある日突然あなたの家の呼び鈴が鳴り、家の扉を開くと、そこには神聖なる存在が立っていました。神聖なる存在は、あなたにたくさんの金塊を持ってきたのですが、あなたは、「家を間違えています」と言って、扉を閉めてしまいます。
なぜそんなことをするのでしょうか。そこには二つのパターンがあります。
ひとつはあなたがあなた自身に対し、優しくないからです。
自分はその金魂、豊かさに値しないという記憶を持っているために、扉を閉じてしまうのです。あなたがこれまでの歴史で、人を騙したり、自分を騙したり、争ってきた歴史が、それを受け取らせることにあらゆる理由をつけて拒むです。
二つ目は、期待です。
はじめに扉を開けた時、神聖なる存在が手にした金塊の量があなたの思っていた、期待していたものとは違っていたかもしれません。あなたにとってはこれだけないと幸せになれないという量には足りていないと思い、これはわたしにふさわしくないと言って扉を閉めてしまうのです。
もしかしたら、神聖なる存在は、完璧なタイミングの元、10回に分けてそれらを運んできてくれようとしていたかもしれないのに、あなたはそれに気づかず扉をしめてしまうのです。これは、モーナがよく皆に話していた、お金、豊かさの例え話です。
Q. 豊かさとは一体なんでしょうか?
毎瞬、ディヴィニティーの存在を体験すること、感じることだと思います。
なぜならば、神聖なる存在があなたと直接繋がっている時、あなたこそがこの世界の宝物であることを思い出し、あなたに必要なことは全て完全なタイミングで用意されているからです。
豊かさそのものであるあなただからこそ、それは実現するのです。
Q. 豊かさの実現のためにできること
本来のあなたを遮る記憶をとにかくクリーニングしていくことです。
例えば、お金を得るために、さらに賢くならなくてはいけない、そのために学校に通うという考えがあるとしたら、その考え、判断、それに関わるあらゆる出来事をクリーニングすることです。
同じく、この夢を実現するためには、このようなお金と、このような豊かさが必要であるという思いがあるとしたらそれらをクリーニングしていくことです。