あんなことを言ってしまった、やってしまったという小さなことから、組織や社会から責められるような大きな出来事まで、後悔や自責と生きていくことは本当につらいことです。
そんな時は、わたしたちは絶望し、二度と前を向いて生きることが難しいと感じます。
しかし、いつでもアクションを起こせば、あなたらしさを取り戻せる、あなたにとっての本当の正しさと出会うことができる、本当の自分の道、つまり神聖なる存在と繋がったままのあなたに戻ることができるということを忘れないようにします。
その後悔が、たとえ数時間前のことだとしても、何年も前の大昔のことだとしても、その思考が現れるたびにクリーニングすることで、わたしたちは自責や後悔を生み出した記憶を手放すことができます。
自分がしてしまったことに後悔を続けている間、わたしたちはそれを正当化したり、なかったことにしたり、それをしてしまった自分を何度も何度も罰しようとします。
そんな自分の思考や感情の動きは、まるで、自分の家いっぱいに次から次へと物や食べ物を、溜め込んでいるような状態です。自分が生活を営むということを困難にさせるほどに、不必要なものでいっぱいにして、自ら自由や快適さを奪ってしまうのです。
どんな反応であるにせよ、感情や思考が現れた時には、あなたは選択をしなくてはいけません。
クリーニングするかしないか、ただそれだけです。
神聖なる存在に対して「ごめんなさい、許してください、愛しています、愛しています」と伝えること、ただそれだけです。
後悔、犯罪、何かをしたとしても、結婚を後悔するとしても、子どもを産んだこと、産まなたったことを後悔するとしても、今この瞬間、神聖なる存在をここに取り戻すことができるのです。そうすることでしか、わたしたちは今を十分に生きることはできません。
今を生きることができないということは、あなたが本来すべきことに取りかかれないということです。そのためにはあなたの中にある誤り、つまりエラーを修復する必要があるのです。
ある人がクラスの中でこのことを完璧に表現していました。
もしも、あなたがスーパーカーを持っているとして、それが故障したとき、その修理や問題解決を尋ねに行く相手は誰ですか?近所の人ですか?それはその車のマニュファクトリーではありませんか?
そう、その車を生み出した場所です。
わたしたちもそれと同じです。わたしたちの中にもしもエラーを発見したら、わたしたち人間もいのちの源に直接、問題解決を依頼すべきなのです。
神聖なる存在はあなたのブループリント(青写真)を知っているのですから。
あなたがこれまでの人生で何を選択し、何を過ちに感じ、何に後悔していようとも、
Clean and move on.
クリーニングして前に進むことができます。
あなたが神聖なる存在のもとにいる限り、あなたは大丈夫。だから、クリーニングしましょう。
どんな失態を犯したとしても、あなたがクリーニングしていれば、神聖なる存在はそこに必ず介入し、あなたは自分の道をもう一度見つけることができます。
平和
ジーン・ナカサト