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孫が高熱を出し、4日が経った頃、娘がようやく孫を医者に連れて行きました。

わたしがそこに行った時に目にしたのは、娘の腕の中に横たわり、汗をびっしょりとかいている孫の姿でした。

わたしはすぐにクリーニングを始めました。孫はインフルエンザと診断され、適切な処置を受けた後、数時間で帰宅することができました。

わたしはクリーニングをするとき、何かを成し遂げたいから、または結果を求めてクリーニングするわけではありません。しかし、そうなりがちであることも理解しています。

その時、わたしは孫がインフルエンザで苦しんでいるという状況の中で、自分が体験していることをクリーニングしました。そして、その結果、わたしは溢れるほどの幸福を体験したのです。

それはまさに幸福と呼べるものでした。孫がインフルエンザで苦しんでいる時に「幸福」という言葉を使うのは矛盾しているように思えますが、それは知性の考えにすぎません。クリーニングを通じて、わたしは深い平和を感じていました。

記憶が消去されることで、わたしは本来の自分として自由になります。今回の出来事の中でも、わたしは何度も娘に「ああした方がいい」「なぜこうしないのか」と口を出しそうになりました。それは、わたしが全てを知っていると考えてしまう思考の表れなのです。

そのような思考を実行してしまうことは、娘のインスピレーションを妨げ、結果的に孫が本来持っている神聖なる癒しとのつながりから遠ざかることになります。

何が起きているのかわからなくても、「わたしは今、こういう体験(考え、気持ち、体感)をしている」と気づくことが大切です。その時、わたしができることは、自分自身をクリーニングすることだけなのです。

そして、クリーニングによって消去された記憶は、わたしだけでなく、娘や孫からも消えていきます。

すると、わたしの娘は自分がすべきことをし、孫は本来の状態を取り戻すことができます。そして、わたし自身もそうなるのです。

クリーニングを実践することで、たとえばクリーニングツールを選択し使うことで、わたし自身の判断や批判は減り、ただクリーニングして前に進むことができるようになりました。

知性はいつも飛び込んできて、わたしたちを議論に巻き込み、「自分にとって正しいものを正しいタイミングで選択する」ことを妨げます。しかし、たとえばスーパーマーケットに行く時も、クリーニングをして向かうことで、自分にとって必要な商品が自然と目の前に現れるようになります。

それは、農薬の有無とはまったく関係のないことなのです。

わたし達が本来の流れの中にいる時、思考に頼らなくても、必要なものが目の前に現れ始めます。

全ては、わたしが自分の内に平和を取り戻すこと。

それが、全てへの近道なのだと、わたしは実感しています。

平和
アイリーン・シュウォネック




Irene Schwonek アイリーン・シュウォネック 2009年に初めてホ・オポノポノのクラスに参加し、現在はドイツでクラスを教えている。 ミュニックの民放テレビ局の子供チャンネルにて長年プロデューサーを務め、同時に作家、ロミロミセラピストとしても活動している。 アイリーン・シュウォネックのインタビュー記事はこちらからご覧ください。

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