クリーニングを続けていく中で、『神聖なる存在に委ねる』という点に到達したとき、問題がなくなりました。
わたしは何年もの間、クラスを通して学んだホ・オポノポノ、つまり自分を再教育し『12のステップ』をはじめクリーニングを続けていくこと、ウニヒピリをケアすること、それぞれの問題にピンポイントで使うことができるクリーニングツールの実践によって、『幻想としてプログラムされたものたち』を手放すことに成功したと言えるでしょう。
【ヒューレン博士インタビュー】
『12のステップ』
その大部分を占めていたのは、『お金が十分にないと生き残ることはできない』という幻への信仰です。 そして、わたしはとるに足らない存在であり、許されないほどの大罪を犯した恥ずべき存在という幻です。
今あるものではなにもかもが不十分であるという幻想・・・。
十分な評価、愛、喜び、幸福、成功、お金、いつ何時、全てを失うかもしれないという不安に見合っただけの所有物を求め続けていました。
わたしはあらゆることに判断を下しながら生きてきました。判断の対象は他者、神や世界も含まれました。長いこと判断し続け、そのたびにわたしの中にある罪悪感は増え続けていきました。そして当然のごとくその罪悪感は、わたしとお金の間にある関係性にも投影されていきました。
そしていつしか、わたしはお金を敵とし、内に溜め込まれた罪悪感の格好の相手として決定づけたのです。
自分が本当は一体どういう存在であるのかを知らない、なぜここに今いるのかを知らない、そのことが、あらゆる問題の原因でした。
そしてわたしはその原因によって、すべてを失うという体験を人生において与えられました。
人生において、恥と罪悪感が自分を底辺に至らしめるように、表面意識上で感じるとき、わたしたちはいわゆる「地獄」のような感情を抱くことがあります。
それらは時として、不安、無力感、鬱、そして過呼吸などとしても現れます。
自己嫌悪、そして悲しみ、欲望や怒りを一つ一つ噛み砕く中で、判断し、その戦いに敗れ、手放す、その繰り返しです。
被害者でいようとすることで一度は到着地点を見つけたような気がしても、すぐに自分の中にあるプライドが現れ、単なる被害者ではいられない、そんなどこに逃げても、行き場のない気持ちを感じると同時に、とうとう受容しようという意思が現れます。
気が付けないほどの小さなステップかもしれませんが、それらの体験も一歩、一歩、ただひたすらに愛に向かっているだけの階段だったということに気づかなくてはいけません。
もしも、今自分がいる場所が人生において底辺であると感じているならば、あなたは許さなくてはいけません。
誰を?
自分自身を。そしてもともとあるはずの愛にただ戻るのです。
どうやって?
ホ・オポノポノがそれを可能にしてくれます。
あなたがクリーニングを選択する限り、ホ・オポノポノは必ずどんなときもあなたのそばにただひたすらに効果的に存在します。
今日、わたしは今も外の世界に生きています。しかし、完全なるうちなる家族とともに生きています。
自分自身を許すこと、それは、神聖なる存在がわたしを通して、実現してくれることなのです。
ですから、対象が何であれ、神聖なる存在の許しがわたしを通して表現されたとき、お金、仕事、人間、あらゆることに表現されるのです。
これが、人生において何らかの形で囚われてしまっていると感じるすべての人に、わたしが共有させていただきたいお話しです。
過去に関わってきた誰かを責めることはしていません。もちろん、過去に起きたあらゆることを、当時付き合っていた男性、世界、社会、会社、友人や家族に叫びたい思いでいっぱいでした。実際になんらかの形でそれをしてしまっていたでしょう。しかし、セルフアイデンティティー スルー ホ・オポノポノと出会い、あらゆる叫びは内側に向けてされていたのだということに気づかされたのです。
わたしはこのようなことを赤裸々にお話しすることに関して、全くプライバシーの侵害であるということを感じないのです。なぜならば、生きることが難しいと感じるほどの問題を通してクリーニングを続ける中で、これらの体験は消化され、神聖なる存在のもとで変換され、わたしの個人の過去のストーリーとしてではなく、問題を解決しようとしているどなたかの尊いいのちの、何かのきっかけになるものとして現れたからです。
わたしはすでにこの体験を自分という垣根を超えたところで扱うことができているのです。
これを読まれている方の中で、わたしの実体験が、問題突破の鍵を探されている方にとって何かのお役にたてられるのならば、そんなに嬉しいことはありません。
たとえどんなに小さな石ころや砂一粒ほどの大きさの変化だとしても、人生が本当の自分のもとに戻るとき、その変化こそが神聖で貴重なものなのです。
愛と平和