これはクリスティーンのインタビュー記事です。
クリスティーンの回答は、黄色で表示されています。
今回は、ホ・オポノポノの講師であるクリスティーンさんにお話を伺いました。
クリスティーンは1998年からホ・オポノポノを実践しており、30年近くクリーニングをしています。 彼女はこう語ります。 「ホ・オポノポノの素晴らしい点は、常に『自分の内側を見る』ように思い出させてくれることです。外側を責めるのではなく、自分の内なる体験に対して責任を取ることを選んだ瞬間、私たちは苦しみとのつながりを断ち、自由を取り戻すことができるのです。」
<ホ・オポノポノは、まず自分の内側を見ることを教えてくれる>
── クリスティーンさん、今日はお会いできてとてもうれしいです。今回のインタビュー準備をしていて気づいたのですが、あなたがホ・オポノポノを始められたのは1998年のことなのですね。当時、どのようなきっかけでホ・オポノポノに出会われたのでしょうか?
本当に偶然のような出来事でした。友人が「講座に行ってみない?」と誘ってくれたのですが、どんな内容のイベントなのかもよく分からないまま参加することにしました。
チラシを受け取ったのですが、そこに書いてあった言葉そのものというより、その言葉に宿るリズムや響きに惹かれたのです。直感的に「これは何か特別なものだ」と感じました。
そしてわたしは2時間かけてヒューレン博士の講座へ行き、翌日また2時間運転して帰り、そのまま週末のホ・オポノポノのクラスに申し込みました。
そこから今日まで、ずっとホ・オポノポノを実践し続けています。
── わたしたちは皆、何か新しいものと出会うとき、必ず入口や転機のようなものがありますよね。
わたしにとってホ・オポノポノとの出会いは本でした。
当時は経済的にも厳しく、キャリアの未来も見えず、本を見た時に、「お金持ちになる簡単な方法でも書いてあるのかな」と思って手に取ったのが入口でした。
でも、実践を通じてわたしが受け取った最大の贈りものは、お金に関する“秘密”ではありませんでした。
「被害者だと思い込んでいた自分から、自分の人生に責任を取り、内なる力を取り戻す人へと変化していったこと」でした。
外側の世界を変えることはできなくても、自分の体験については100%の責任を引き受けられるのだと学びました。
そこで伺いたいのですが、クリスティーンさんが最初のホ・オポノポノのクラスを受けたあと、最も大きかった贈りものは何でしたか?
わたしにとって最も深く影響を与えたのは、「人生で起きているすべては、自分自身に関すること」という絶え間ない気づきでした。
例えば、仕事でプレッシャーを感じるとき、請求書を前に緊張するとき、実際に向き合っているのは「外側の出来事」ではなく「自分自身」なんです。
ホ・オポノポノには、美しい点がいくつもあります。
そのひとつは、そっと内側へと視線を向けさせ、自分の体験に対して責任を取り始めるよう導いてくれることです。
わたしたちは記憶を手放すことを選ぶことができます。
問題を「どう解決しようか」と考える前に、まず内側に戻り、バランスを整えるのです。
そしてホ・オポノポノは、問題やプレッシャーから目を背けたり逃げたりすることを求めているわけではありません。
むしろ、「これは心地よくない」「今、わたしはストレスを感じている」と、自分の体験をそのまま認めるのです。
自分の感じていることを見つめ、「これが今のわたしの体験なんだ。手放してもいいかな?」と問いかけます。
避けたり、否定したり、「あなたのせい」と他人を責めたりする代わりに、ホ・オポノポノは、これらの体験が自分の記憶から来ていることに気づかせてくれます。
自分の前にいる相手や状況とは、記憶によってつながっているのです。
そのつながりをクリーニングによって切り離すと、わたしたちは自由になります。
もし被害者の記憶にしがみつき続ければ、問題はいつまでも「誰かが作ったもの」で、自分は「被害者」のままです。
しかし、ひと呼吸おいてクリーニングの言葉を唱え、記憶と議論する代わりに手放すことを選ぶとき、わたしたちは自分の力を取り戻し、自分自身に責任を取る存在へと戻ることができます。
責任を取るということは、自分をケアする場所に戻るということでもあります。
外側に向かって「ごめんなさい」と言っているように見えても、実際には自分自身に向かって「ごめんなさい」と言っています。
ホ・オポノポノのプロセスとは、自分をケアし、自分を再び愛し始めるプロセス、愛に立ち返るプロセスなのです。
こうして記憶を手放していくことで、わたしたちは愛を体験することができるのです。

<記憶の層を幾重にもクリーニングしている>
── クリスティーンさん、美しいシェアをありがとうございます。
先ほど、ホ・オポノポノの魅力のひとつは「自分の内側へ目を向け、自分の体験に責任を取ることを思い出させてくれる点」だとお話しくださいましたね。
ですが、実践を始めたばかりの人にとっては、ホ・オポノポノがまるで魔法の杖のように感じられることがあります。
たとえば、いやな感情やつらい体験が湧いたとき、「クリーニングすれば、この感情が消えるはず」と期待してしまうことがあります。
しかしクリーニングしてもまだその感情が残っていたり、また何度も繰り返し出てきたりする。
すると、「ホ・オポノポノは効果がないのでは?」と感じてしまうこともあります。
そこで伺いたいのですが、どうすれば「何かを消そうとする」のではなく、「内側を見るためのプロセスとしてホ・オポノポノを捉える」という視点へ切り替えられるのでしょうか?
今おっしゃったことは、わたし自身もすべて経験してきたことです。
わたしは毎日、さまざまな感情が湧いてきます。
落ち込んだり、イライラしたり、考えすぎて疲れ果てたり。
そんな時にふと気づくのです。「ああ、わたしは神聖なる存在からのインスピレーションを選ぶという別の道を持っていた」と。
あなたが言われた「ホ・オポノポノは効いていない」「まだよくなっていない」という考えも、実は記憶の声なんです。
わたしたちの前にはいつも選択があります。
神聖なる存在から完璧なアイデアやエネルギーが届き、癒してくれるためにクリーニングのプロセスを開くのか。
それとも、「ホ・オポノポノは効かない」という記憶を握りしめ、その再生の中に留まるのか。
モーナはわたしたちに素晴らしい例えを伝えてくれました。
それは「自転車に乗ること」に似ていると。
自転車があったとして、空気を入れ、クリーニングしながら乗り始めます。
ところが走行中に石に当たり、泥の水たまりに転げ落ちてしまう。
そんな時、あなたはどうしますか?
泥の中に座り込んだままでいますか?
それとも立ち上がり、自転車を持ち上げ、再び前へと進み始めますか?
この例で言う「泥に落ちた瞬間」が、まさに記憶に捕まった瞬間です。
でもそれでいいのです。人間であるわたしたちは、ときどき記憶に落ち込むものだからです。
しかしホ・オポノポノを実践していると、ふと気づけるようになります。
「また記憶が再生しているな」と。
同じ問題に見えても、同じ感情に思えても、実はまったく同じではないのです。
クリーニングをするたびに、新しい機会が現れています。
そして毎回、選び直すことができます。
クリーニングを選び、記憶を解放するプロセスを起動させることができるのです。
クリーニングが「働いている」と感じられないこともあります。
毎日同じ問題を見ているように思えることもあります。
でも忘れないでください。
わたしたちは、幾重にも重なった記憶の層をクリーニングしているのです。
表面上は変わっていないように見えても、クリーニングをするたびに、わたしたちは以前とは違う存在になっています。
毎日、記憶を手放す新しい機会をいただいているのです。
わたしが背中の痛みをクリーニングしていた時期があります。
プロセスの中で、ある日ふと痛みが消え、やがてその痛みがあったことすら忘れてしまいました。
ホ・オポノポノの働きはとても繊細で、やさしく、それぞれに必要なものを完璧なタイミングで与えてくれます。
どんな状況にとって、何が正しく、何が完璧なのか。
それを計算できるのは神聖なる存在だけです。
クリーニングの中で、わたしたちは何も計算する必要はありません。
ただプロセスを始め、自分の体験に責任を取るだけです。
ときどき「責任を取るということは、自分が悪いという意味なのか?」と疑問に思う人もいます。
そうではありません。
ホ・オポノポノでいう責任とは、こう認めることです。
「わたしは今、この体験をしている。この問題を感じている。そして、これをクリーニングすることを選択する。」
<身体の痛みをクリーニングするには>
── ありがとうございます。思わず聞き入ってしまいました。
ある参加者から、「長年ずっと背中の痛みに悩まされているが、原因も分からず、どうクリーニングすればよいのかも分からない」という相談がありました。
背中の痛みと向き合うクリーニングについて、あなたのご経験をぜひ伺いたいです。
なぜこのような痛みが生まれることがあるのか、そしてホ・オポノポノではどのように取り組むのでしょうか?
ありがとうございます。背中に痛みが現れるとき、それは記憶が浮上してきたサインです。
まるでウニヒピリが赤い小さな旗をひらめかせて、「ほら、手放せる記憶がここにあるよ」と教えてくれているようなものです。
わたしたちはつい、その痛みが「なぜ起きているのか」を分析したくなります。
原因を探し出そうとしてしまうんですね。
けれどわたしがホ・オポノポノを実践するとき、自分にこう言います。
「この背中の痛みを愛してみよう」と。
そして今感じている痛みに向かって、「愛しています」と伝えるのです。
その痛みを愛することができるとき、わたしはもう痛みと戦っていません。
代わりにこう伝えています。
ありがとう。
現れてくれてありがとう。
手放すことを選ぶチャンスを与えてくれてありがとう。
このプロセスを通して、痛みは溶け出すように軽くなっていきます。
また痛みが戻ってきても、わたしはクリーニングを続けます。
痛みを再び愛し、また「愛しています」「ありがとう」と伝えたり、ほかのクリーニングツールを使ったりします。
わたしの経験では、ある不調や症状はクリーニングの中ですぐに消えていくことがあります。
一方で、時間を要するものもあります。
どちらも経験しています。
それは、その痛みの後ろに何層もの記憶がどれだけ残っていて、どれだけ手放す必要があるかによって変わるからです。
クリーニングをするたびに記憶は解放されています。
しかし、わたしたちの内側にどれほど多くの記憶の層が積み重なっているのか、どれだけの記憶が自由になるのを待っているのかは、誰にも分からないのです。
── ありがとうございます、クリスティーンさん。
参加者の方々も、自分自身や家族の病気についてよく質問されます。
そして今お話しいただいたように、どんな状態であっても、わたしたちに記憶を解放する機会を与えてくれているのですよね。



