自分では処理しきれないような大きな変化が現れたとき、わたしがおまじないのように自分に言う言葉があります。
“We don’t know anything”
「わたしは何も知らない(わかっていない)」
なぜこの言葉が途方に暮れているときに役立つのか、それは、わたしを記憶の渦の中からクリーニングの入り口に立たせてくれるからです。
わたしたちは何か問題を体験するとき、その原因、理由を探し、自分が導き出した「こうあるのが正解」「こうなれば幸せになれる」という答えに向け突進します。しかし、そのどれもこれも記憶です。突進する理由も原因も方法も向かう先も記憶の再生なのです。
そこで、わたしは自分自身に思い出させるのです。
“We don’t know anything”
「わたしは何も知らない(わかっていない)」
一瞬でも、わたしの意識、思考では捉えられないことがあることを思い出すことができれば、そのスペースの役割が神聖なる存在によって取り戻されます。それが、唯一わたしたちがすべきことなのです。
更年期としての体験の一つ一つを観ても、実際のところ、自分の体で起きている変化も、その本当の原因も、わたしたちの意識では捉えきれないことなのです。
医者に行くべきか、薬を飲むべきか、その判断も記憶です。何か正解を導きだそうとしている自分に気づいたら、その体験をわたしはクリーニングしたかどうかを問いかけることができます。
ブループリントの上にいるとき、自分では気づかなくても、あなたがその歳、その体、その状態であるということがその瞬間の人生の目的です。それを生きるというだけで、これまで消化されなかった記憶のしがらみをも解消することがあります。
わたしたちはどんな時も進化の時にいます。老化している、後退している、失っているというのは思考の判断です。
わたしたちが生まれてからこれまで、その状態から進化するチャンスをどの瞬間も与えられてきました。あなたが今、その年齢、その体、その状態であることには進化のチャンスがあるのです。
体や心に違和感や変化を体験するとき、それは、ブループリント、つまり本当の自分の地図に戻る完璧なタイミングが来たという気づきなのです。
平和