わたしたちはクリーニングをどんな時も実行することができます。
どれだけの傷を心に負ったとしても、自らできることがその瞬間あります。
立ち上がらなくても、無理やり人に会わずとも、ただそこにいる自分が実践することができます。
その問題について話すだけでは本当に解決にはならないことがあります。
本当の傷、恐れ、悲しみを体験しているのは、表面意識ではなく、潜在意識なのです。
その体験を繰り返してきた潜在意識をわたしたちはクリーニングを通して解放することができます。
潜在意識にわたしたちのクリーニングの意思が届けられたとき、そこで、はじめて潜在意識は、問題の原因である記憶を神聖なる存在に届けることができます。
記憶がゼロになり、自由になること。問題の当事者、関わったものが本当に癒されるのは、神聖なる存在によって、記憶が消去され、それぞれが本当の自分を思い出すことです。
誰かの心の傷をあなたが見る時、そこでも、その瞬間、あなたにできることがあります。