自分が知っている何かを、人に知ってもらいたいとき、それに対して共感してもらいたい、特定の感想を持ってもらいたいと感じているときに、クリーニングすることができるのは、相手ではなく、そのように感じている自分自身の想念です。
自分が正しいと信じていることを同じように感じてくれない相手に対して、あなたが思うこと、それはもともと自分の内側にあった記憶です。
自分が正しいと信じていることに対する自分自身の想念から自由になることで、実は自分自身が縛られていた記憶から解放され、神聖なる知恵があなたのもとに届きます。
誰かにこれを知ってほしい。こんな風に考えてほしいと強く思うときこそ、これまで抱えてきた記憶をクリーニングするチャンスです。