わたしは会議などで、人と意見がぶつかったり、なかなかまとまらないときに、イハレアカラ・ヒューレン博士と一緒にいたときのことを思い出します。彼はいつも「聞く人」で、あまり話しませんでした。本当に、いつも聞いてばかりでした。
だからといって、その場にいる人や物事に無関心というわけではありません。彼は内側で何かをしていたのだと思います。わたし自身も、たとえば裁判所のような場で人々が争っていたり、弁護士たちが言い争っていたりするとき、わたしにとって最善の立ち位置は、ただ聞くこと、聞くこと、聞くことなのです。
なぜなら、「聞いているとき」こそが、クリーニングしているときだからです。話してしまうと、もうクリーニングはできなくなります。「ありがとう」と言っていたとしても、話しているときは本当の意味でクリーニングしているとは言えないのです。
たとえば、競争心が強い緊張感のある「レッドフラッグ」的な会議のときでも、わたしはあえて沈黙を選びます。ノートを取りながら、自分のために聞きます。表面的には参加していないように見えるかもしれませんが、その方がよく理解できるし、人々も落ち着いていきます。
一方で、話しすぎてしまうと、お互いの記憶がぶつかり合ってしまい、うまくいきません。わたしたちは時に「輝きたい」「賢く見せたい」と思いますが、それは話すことでは達成できません。
むしろ、沈黙して耳を傾けていると、「今こそ話すべきだ」と感じる瞬間がやってきて、そのときに発言すると、周りの人たちは自然と静かになって聞いてくれるのです。
印象的だった話があります。ある友人がアメリカで初めてホ・オポノポノのクラスに参加したときのことです。クラスが始まる前、みんなが騒がしく話していたそうです。ところが、イハレアカラ博士はただ静かに窓の外を見つめていました。
彼はきっとクリーニングをしていたのでしょう。ただ彼が静かにその場で窓の外を見ていただけなのに、彼がクラスの方へ振り返った瞬間、教室全体が静まり返ったのです。
彼は何も話していません。ただ振り向いただけなのに、クリーニングしているというのは、それだけでその場全体を変える力があるのです。
このエピソードから、わたしたちは多くを学ぶことができます。特に会議など、多数の人間が異なる意見を持ち合い、何か一つの目的に向かっているようなとき、表面意識では理解できないような多くの情報を、わたしたちは意識する以上に受け取っています。ですから、誰かよりも多く賢いことを話すことに意識を向けるよりも、まずは自分は自分で掃除(クリーニング)する。
実際にわたし自身も静かにして、人の話をクリーニングしながら聞いているときにこそ、人々がわたしの言葉に耳を向けてくれていると実感しています。逆に、クリーニングをせずに話すと、誰も聞いてくれません。
ですから、反応せずに、クリーニングすることが大事です。相手が反応しても、自分は黙って、聞いて、ノートを取る。わたしはノートを取りながらクリーニングします。書き殴っていてもいい。それでわたしは心を整えることができるのです。
話していると、同時にクリーニングするのは難しいです。ですから、話す前、そして話した後、わたしはクリーニングするようにしています。自分にも、相手にも、ビジネスそのものにも、神聖なるアイディアと繋がっていられるために。
平和
ネロ・チェッコン
