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急ぎ足で街を歩いているとき、ガラス張りのビルに反射して、一人の女性の姿が映し出されました。

不意に目に入った、その女性は確かに生きていて、こちらを向いていて、顔に馴染みはありますが、その表情はとても無防備で、あらゆるケアを受ける価値がある存在だと感じました。
その女性の二の腕は、わたしが想像していたものよりも太く、ダラリと重力に任せるがままに垂れ下がっていました。

しかし、その時、わたしはそのことに衝撃を受けることよりも、つまり、それがわたし自身のものであり、それがわたしにとってどういう意味を持つのかと考えこみ、他の思考と結びつけることをするよりも先に、ただそのありのままの姿を目撃し、その人は、ケアを受ける価値がある、とただ感じたのでした。

それを目にするわたし自身にとっての真の幸福が、理想の車や家、お金や社会的立場からではなく、今目の前に写っているこの女性をケアし、愛を取り戻すことなのだという確信が静かに内側にこだましました。

わたしたちが持つこの肉体は生まれてから今日まで、いつも夢や幻のように消えることなく、自分とともにありました。時に病気や怪我、または老化を通して変化を感じることはあっても、呼吸と同じくらい当たり前に、自分とともにあるものです。

しかし本来、体とは恐ろしい話を聞いただけでも、ダメージを受けています。わたしたちは日頃どれだけ、多くの刺激を絶えず受けているでしょうか。
ニュースを見た時、心が感情を感じると同時に、体にも刺激が与えられています。さらに、そういったトラウマを体は遥か昔から蓄えています。

そして、体は意識と同じで、あらゆる記憶から引き起こされるストーリーを体内記憶として蓄えています。この体は本来、完璧に繊細かつ緻密に神聖なる存在によってデザインされたものですが、そういった過去の情報がその完璧な機能を阻害しています。

わたしたち一人一人のユニークさ、そして一人一人に与えられた完璧な情報が滞ってしまうのは、記憶の再生をそのままにし、それを栄養として、聞いて、話して、見るということに身を委ねているからです。
わたしたちは日々、自分という神聖な存在に、まるで分別なく様々な思考やゴシップ、発言を次から次に持ち込み集め、集積していきます。
一つの問題が解決したとはいえ、それをクリーニングしていないままというのは、消化されていないのに、次から次に食べ物が運びこまれた胃袋のような状態です。次第に動きは緩慢に、味覚は劣り、常に眠気と倦怠感を帯びた自分なのです。決して良いパフォーマンスができる状態とはいえませんし、その状態で横になることは、決して安らぎをもたらすことはありません。

わたしは16歳の時、当時暮らしていた田舎街で、連続レイプ犯による十三人目の被害者となりました。ショックな出来事であったにも関わらず、わたしの両親はそれを公にすることに強く嫌悪感を示し、一度医者に行ったきり、わたしは当時その痛み、恐れを解消するツールを持っていませんでした。
それによって、わたしはすでに終わったはずのその恐怖を何度も繰り返し体験するようになりました。
個人的なこととしてその鉛のように重い出来事をどうにかしようと、スピリチュアルなものを求め世界中を旅する中で、ある時、ホ・オポノポノと出会いました。
冒頭でお話した、街を歩いていたときふと目に入ったガラス越しに映る自分にセンセーションを受けたのは、ホ・オポノポノをはじめてしばらく経ってからのことです。すでに自分が体験した傷からの癒しを真摯に取り組み、自己愛について学び実践してきたと思っていましたが、あの日、ガラス越しに映った自分と対峙した時、16歳で体験したことも、この世に生を受けてから感じたあらゆる痛み、憎しみ、恐怖も、すべて、この体が体験してきたことなのだと、ただ受け入れることができました。
それは言葉で説明するよりもはるかに驚くような体験で、そのような複雑な出来事をただ選ばされてきた自分、そして、それを遥かに超えた本来の純粋で美しい存在に触れることができたような気がします。
目に映るものの奥にある確実は純粋性に触れると同時に、真の母性がケアと愛を送り始めます。それはこれまで感じたことのないような安心と感謝そのものでした。

わたしたちがホ・オポノポノを学び、実践する時に、完璧な機能を見失っているかに見える体は、本来の「愛」を思い出します。

「愛」はいつしか、幻や言い伝え、神話のようなイメージを持つほどに、形のない存在として力を失ったように扱われるようになりましたが、実は「愛」こそがこのように、常にストレスに満ちた情報の中でさえ、あなたの口に水や食べ物を運び、道と歩ませ、本当に触れようとすれば、自分自身を自ら癒せるほどのあたたかみをもった力を手から感じることを可能にするのです。

「愛」があるから、わたしたちは、味や冷たさ、暖かさを通して、神聖なる存在からの完璧な情報を受け取ることができます。

愛と平和

Mahayana I. Dugast, Ph.D. マハヤナ I. ドゥガスト 2008年にSITHホ・オポノポノと出会う。 三人の息子を持ち、一人の孫を持つ。 仕事、母親業、祖母業がすべて調和とともに過ごせているのは、すべてSITHで学んだ「本当の自分」を実践できている恩恵であると彼女は語る。 平和な心とともにその三つ役割の中で自分を表現できるのは、すべて一瞬一瞬のクリーニングによるものであると。 マハヤナ I. ドゥガストのインタビュー記事はこちらからご覧ください。

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