わたしがまだ結婚生活を送っていたころ、当時の夫と一緒に建設業を始めました。立ち上げたばかりのころは、すべてゼロからのスタートで、経済的にも困難な時が続きました。
あるとき、クライアントからの入金が確認できると、夫がそれをわたしに見せてくれました。そのたびにわたしは「お金とダンスしましょう!」と言って、実際にお金と踊っていたのです。これを聞いて「変だな」と思う人がいるかもしれません。でもわたしにとっては、それが「お金さん」というアイデンティティーが訪れてくれたことへの、今この瞬間の喜びの表現だったのです。
わたしは故モーナ・ナラマク・シメオナから、「お金に愛を伝えてください」とよく言われていました。「お金は、あなたの言葉や想いを全部聞いていますよ」とも。
「お金には意思がある」──だからこそ、わたしはお金をひとつの“アイデンティティー”として丁寧に扱うことをモーナから学んだのです。
モーナが実際に体験した有名なエピソードがあります。ある日、彼女が駐車場で料金を支払おうと5セント硬貨を手に取り、パーキングメーターに入れようとした瞬間、突然「ちょっと待って!わたしに何をするつもりなの?!」という声が聞こえてきたのです。それは、なんとその5セント硬貨からの声でした。
硬貨を当然のように使おうとしていたモーナにとって、それはとても驚きの出来事でした。何気なく扱っていたその丸いコインにも、“想い”や“意思”があったのです。
モーナは、その5セントに向かって話しかけました。「怖がらないで。これからあなたをこうして使わせてもらうの。行き先はこういうところなのよ」と、まるで人に話すように説明しました。そして、クリーニングをしながらそのコインを送り出したのです。
こういった話をすると、眉をひそめる人もいるかもしれません。でもわたしはそのころ、ホ・オポノポノと出会い、「わたしは誰なのか」「どう生きていくのか」という問いに誠実に向き合っていました。だからこそ、お金のような“物質”との関わり方を軽視することはできなかったのです。
それ以来、わたしもお金と“クリーニング”という名の対話を通して関わるようになりました。だからといって、すぐに仕事が軌道に乗り、すべてがうまくいったわけではありません。それでも、「お金をひとつのアイデンティティーとして見る」という視点がわたしにあったことで、通帳の残高や経済状況に振り回されて不安になったり、自分を見失うことはなくなったのです。
目の前に“お金”というアイデンティティーがいて、そのお金とわたしとの間に生まれる感情や出来事に一つひとつ向き合い、クリーニングしていく。そうすることで、わたしはまた本来の自分の役割を取り戻すことができるのです。その時その時でクリーニングを重ねていけば、きっとわたしも、お金も、その瞬間にふさわしい役割を思い出し、また前へと進んでいけるのです。
一見、声を持たないと思われているようなお金やものをわたしたちが貴重な存在として大切に扱う時、わたしたち自身も本来の機能を取り戻します。直感も健康も、わたしに必要な豊かさも、クリーニングを通して、関わるすべての存在が、それぞれの本来の自分に目覚めるところから現れ始めるのです。