朝起きた時、いったいどれだけの人が、あたらしい一日のはじまりに感謝と喜びを心から感じているでしょうか。
現代に生きるわたしたちは、日々のあらゆる些細なことに神経を研ぎ澄ましながら、多々ある情報の波の中を泳ぎながら生活していると言っても過言ではないでしょう。
そのような生活の中で情報遮断やあらゆる瞑想法など、より心地よく生きるコツも同時に学ぶことができる現代社会ですが、ホ・オポノポノでは「情報」そのものは悪ではなく、記憶のクリーニングのチャンスであると学びます。自分自身とその情報との間にある記憶が消去された時、わたしたちが受け取るのはインスピレーションだからです。
なぜ、わたしたちは1日の終わりにこれほどまでに疲弊するのでしょうか?
なぜ、朝起きた時に、いのちあることにこころから喜ぶことができないのでしょうか?
それは、記憶によって、マインドが便秘状態だから。1日のうちで、テレビや本、電車の中吊りや人との会話、景色を通してあらゆる情報をわたしたちは受け取っています。
1日のうちにどれだけのイベントをわたしたちはこなしているでしょうか?
朝食、通勤、会議、昼食、電話…買い物。一つ一つがイベントであると捉えた時に、実は大忙しなのです。
わたしたちの一部であるウニヒピリは、休むことをしません。あらゆる活動の中で常に記憶を再生させています。
これでは、わたしたちはどんなに寝ても、休暇を取っても、本当に休まることがないのは、当然です。
ここで、改めて「わたしはわたし(はじめの祈り)」と「わたしの平和(終わりの祈り)」をご紹介します。
これは、SITH創始者である故モーナが、オアフ島のカハラビーチの砂浜を通して受け取った、神聖なる存在のバイブレーションを言語化したものです。
クラスの始まりと終わりに必ずそれぞれを読むのは、始まる前までに滞っている記憶を浄化することで、クラスの中でベストな情報を受け取ることができるように準備をするため、そしてクラスが終わる際には、そこで体験されたあらゆる出来事と自分の間にある記憶を消去し、インスピレーションから次に進むためなのです。
それと同じことを、わたしたちは日々の生活のあらゆることで、自分ですることができます。
朝、ベッドから起きる前、食事をする前、電車に乗る前、パソコンを立ち上げる前…。
会社を出る時、食事をし終わった時、友達と別れる時、会議の後、寝る前など…。
どんな状況でも、神聖なる存在からのインスピレーションによるシャワーを浴びて、ゼロでピュアな本来の自分として一瞬一瞬を生きる生活の知恵としてご紹介させていただきました。