ホ・オポノポノでいう本来のわたしたち一人一人の姿は、判断から完全に自由なゼロの状態です。
スペースがあり、制限のない場、そのものが「わたし」という存在のありかです。
正しい、間違っていると物事を常に判断をしないといけないという思い込み、それさえも記憶です。
純真であること、それはあなたがあなたでいることです。
世界に純真さを見るとき、それは、あなたは神聖なる存在の目を通して物事を見ているということ。
社会から純真なものを聞き取ったのならば、あなたは神聖なる存在の耳で聞くことができているということです。
疑問、質問が現れることが悪いのではありません。
それらが現れたときに、まるで飢えた存在のように「答え」を求めるのではなく、今手放すべき記憶が現れてくれていると気付き、クリーニングしたとき、わたしたちはいつも、完璧なタイミングで神聖なる存在からの答えとなる道標を目にすることができます。