カマイリ・ラファエロヴィッチ の記事・動画 → 人間関係・心理 →

わたしたちは、それぞれが自分の役割を果たしているという一点において、オリジナリティーを持つ存在です。

どの役割が上で、どの役割が下ということはありません。

自分の役割が何であれ、たとえ、それがあなたの歩き方一つ、そのとき、パスタを食べるのか、それともサンドイッチを食べるのかを選択するという小さなことでさえです。わたしたちが本当の自分、あらゆる記憶から自由で、自分のリズムの中で何かを一つ一つ選択するとき、わたしたちは自分の役割を果たしています。あなたはあなたを、わたしはわたしを生きるというその緻密なそれぞれの働きの相互作用を知れば、誰かの仕事がほかの誰かのそれよりも優れているということはありえません。

先日、ビッグアイランドにある牧場に、日本から仲間たちがやってきて、オンラインでライブ動画を配信するということをしました。事前の打ち合わせでネットワーク環境も確認し、溶岩のある場所を配信場所に決めたのですが、いざ配信を開始した途端、つながるはずのものがつながらなかったのです。画面の向こうには世界各国から多くの人たちが待ち構えている状況であるにも関わらず、誰も動揺しませんでした。

わたしは即座にATVに乗り込みいつでも丘の下にあるオフィスに向かう準備をし、

ある人は機材を素早くまとめて、

ある人は講座の遅延のアナウンスをする。

皆がATVに乗り込み、出発する、ただそれだけです。
行くしかないのです。

考える隙間がない、ただ、やるべきことをやるという感覚は誰しもが一度は体験したことがあるのではないでしょうか。そのとき、わたしたちの中には、貯金の残高や未来への不安、親からの無言の圧力、嫉妬心が入り込む場所はありません。ただ、何かによって自動的に動かされているという体験に近いのかもしれません。

このときも、誰が正しく、誰が間違っていたという優劣はありませんでした。わたしも、ほかの仲間たちも自責することもできましたが、何かもっと大きな意識の中で、ただ動かされていたのです。画面越しで待っていらっしゃった方の存在もそこに感じました。ただクリーニングを通して、皆が自分の仕事をしているという体験がわたしにはありました。

多くの方は楽しみに待っていて、そこからクリーニングを始めたのかもしれません。それでも、誰も「ああ、つながらない」とは言いませんでした。

動かないなら行こう、と。

わたしにとっては、ほかの人がクリーニングしているのを体験させてもらえた時間でした。よい意味で、不思議な時間でした。

すべてが思いどおりに運ぶという意味ではありません。ただ、わたしたちが進み続ける用意ができている、というだけなのです。

こっちを漕いで、あっちを漕いで。

この旅には、ほかにも、なぜかは分からないけれど、この人に入ってもらったことにはとても意味があった、と感じることがいくつもありました。いろいろなピースがそろっていくことに、わたしはただ感心するばかりでした。

普段の人生では、こうしたことはもっと長い時間をかけて起きます。今回は、それが短い時間にぎゅっと詰まって見えただけなのです。わたしたちが人生をどう通り抜けていくのか、そしてホ・オポノポノを実践するとどうなるのか、その見事な例だったと思います。

わたしたちが体験させてもらっているのは、意識のある人生と行動の中での、ホ・オポノポノという行為なのです。

ホ・オポノポノは行為です。

終わって止まったものではなく、行為なのです。

つながらない。じゃあ車に飛び乗って出発、道は走りながら分かる、と。

何が金(ゴールド)なのかは、わたしたちには分かりません。ですから、何を体験するかを自分で選んでいる暇など本来はないのです。何であれ、起きたことが目の前に現れます。

そのときに選べるのは、クリーニングするか、しないか。それだけです。

わたしたち一人ひとりが、それをしています。一人ひとりが、自分の人生の中でそれをしているのです。

あなたはあなたを、わたしはわたしを。

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