カマイリ・ラファエロヴィッチ の記事・動画 → 人間関係・心理 →

人生には、ときどき、「どうしてもこれは受け入れられない」と思うことがあります。
それは人との関係かもしれませんし、今住んでいる家の状況、または歯医者さんでの受付の対応かもしれません。

自分の家、仕事、家族、あるいは自分自身が置かれている状況について、
「こんなはずではなかった」
「もっと違う形であるべきだった」
そんな思いが出てくることもあります。

ホ・オポノポノを実践していて、私がとてもありがたいと思うことの一つは、そんなときに、外側で起きていることだけを見るのではなく、「自分の中で、今何が起きているのだろう」と、自分を見ることができることです。
何かを受け入れられないとき、そこには多くの場合、判断や期待があります。
「この場所はこのくらい素敵であるはず」
「この人とはこないだ会った時とっても楽しかった」
「私はこうあるべきだ」
私たちは知らないうちに、たくさんの期待を持っています。

日常でこんな場面はありませんか?例えば、スイカ。
先週食べたスイカが、とても甘くて美味しかったとします。
そして次にスイカを買うとき、私たちは無意識のうちに、
「今回もきっと美味しい」
と思っています。

でも、切ってみたら、前ほど甘くない。すると、「あれ?先週はあんなに美味しかったのに!なんで今回はこうなの?」
という思いが出てきます。
これってなんなのでしょうか。ただのスイカです。あのスイカは美味しかった。でも、今回自分の手元にあるスイカはそうではない。ただそれだけのことですが、これが一体何を意味しているのか、こんな些細なことだけれど、見えてくる私の反応は、私には大変興味深いことです。

これまで何度となく通ったお気に入りのレストランに行ったときに、「何これ?!」と感じたり、今まではなかったなんだか嫌な気持ちにさせられたり。

緻密に計画した旅行にも、これまで慣れ親しんだ仕事にも、自分に安心を与えてくれていたはずの人間関係にも、私たちは同じことをしています。

これは、家についても同じです。もっと広い家に住みたい。もっと自然の近くで暮らしたい。
SNSや雑誌で目にしたような整理された美しい部屋にしたい。
もちろん、そう思うことが悪いわけではありませんが、理想や思いが強くある時、今、そこにある家そのものが見えなくなります。自分を守ってくれている家という存在そのものを感じることができないのです。

家は雨や風から守ってくれ、食事し、眠る場所を与えてくれます。家族を休ませてくれています。
一つのアイデンティティーなのです。ですから家に対して自然と現れる体験や考えがあれば、それはクリーニングする機会です。あなたの中に元々あった受け入れ難いという体験をクリーニングするチャンスを家が与えてくれています。

そして、とても興味深いのは、ホ・オポノポノを学んでいく中で、今度は別の種類の期待が生まれることもあるということです。例えば、とても自然に物事が流れた日があったとします。
何か問題が起きても、誰も立ち止まらず、その瞬間に必要なことをして、すべてが不思議なくらいうまく動いた。
すると私たちは、「いつもこんな自分でいたい」と思います。
「もっと流れに乗れる自分でいたい」「いつも落ち着いていたい」「いつもクリアでいたい」
「こういう人たちに囲まれていたい」
気がつけば、それもまた一つの期待になっています。

ホ・オポノポノを実践する自分についてさえ、ホ・オポノポノをしている自分というのはこんな風で、クリーニングしていると穏やかで感謝に満ちた自分でいられるのだといつの間にか型の中に自らはめ込もうとすることもあるかもしれません。しかし、そうやっていると、今せっかく目の前に現れたものを逃してしまうのです。

「受け入れられない自分」が嫌だから受け入れようとするためにホ・オポノポノをするのではありません。
自分の中の一体何が「受け入れられない」という体験を今、自分にさせているのだろうとクリーニングするところから私たちは、また自分に戻っていくことができます。動いているのです。どんどん、どんどん。その流れに戻っていくことは「受け入れられない」という体験をクリーニングしていくことで可能になります。その先にあなたが求めていたものがあるのか、ないのか、それはわからないけれども、自分がいるべき場所ですべきことをしている、それは理屈や思考から自由でいるときに起こる最高の状態ではないでしょうか。

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