カマイリ・ラファエロヴィッチ の記事・動画 → 人間関係・心理 →

私たちの人生には、「やった方がいい」「いつかやらなくてはいけない」とわかっているのに、どうしても手をつけられないことがありますよね。

片づけなくてはいけない部屋。返さなくてはいけないメール。話さなくてはいけない人。決めなくてはいけないこと。

ずっと気になっているのに、なぜか動けない。

頭の片隅にずっと残り続けているのに、体はそのことを避けようとします。

見るたびに、「やらなくちゃ」と思うのにやらない。

また見る、そしてまた、「まだやっていない」と思う。

そんな体験はありませんか?

私にも、もちろんそんな体験があります。
ビッグアイランドの土地にある家の一角に、ずっと手をつけたいと思っていた場所がありました。
本当はもっと前から直したかったし、計画もしていたのに、洪水があったり、ほかのことが忙しかったり、手伝ってくれる人が見つからなかったりして、なかなか進みませんでした。

そこを見るたび、「ここをどうにかしたい」と思っていました。
でも、動くことができなかったのは、やりたい気持ちがなかったからではありません。
何をしたいかわからなかったからでもありません。ただ、まだ動かなかったのです。

こういうとき、私たちはよく自分を責めます。
どうして私はできないんだろう。なぜ決めたことをやれないのだろうと、自分の頭で決めたことを行動に移せないことに罪悪感を抱くのです。

でも、ホ・オポノポノを実践していると、時々とても不思議なことを体験します。
長い間どうしても動かなかったものが、あるとき突然、動き始めるのです。私が重い腰を上げるための強い意志がないところで、動き始めました。

今回もそうでした。ある日、私たちはその場所に手をつけ始めました。ただ始まったのです。
最初から、「今日全部終わらせよう」と決めていたわけではありません。

ただ一つ動かして、次のものを動かして、また次のものを動かして。気がつけば、何時間も作業していました。次の日もまたやる。そしてまた次の日も。家具を動かし、ものを運び、袋に入れ、外へ出す。

まるで突然、何かが流れ始めたようでした。

長い間、そこに止まっていたものが、ひとつ動くと、その隣にあったものも動き始める。そしてまた、その次も動き始めるのです。実際に運んでいるのは自分たちなのですが、私は勝手に始まった動きにただ手を添えているような感覚でした。

私はこれを、焦げついた鍋のように感じることがあります。ずっとこびりついていて、どれだけこすっても取れない。水につけて、洗剤を入れて、しばらく置いて、その間は、何も変わっていないように見えます。

でも、ある瞬間、ふっと取れ始めるのです。一カ所が取れると、そこから次々とはがれていくのです。

人生にも、そんなことがあるように思います。

何も動いていないように見える時間。
同じ問題がずっとそこにある時間。

そんなとき、「私は何もできていない」と思います。

でも、本当に何も起きていないのでしょうか。ホ・オポノポノでは、目の前に現れるものとクリーニングを続けます。その部屋を見て嫌だと思ったら、その嫌だと思う自分とクリーニングする。「早く片づけなくてはいけない」と焦ったら、その焦りとクリーニングする。「どうして私はできないんだろう」と自分を責めたら、その思いもクリーニングする。そしてそこには目の前の生活があります。料理、洗濯、仕事や子育て。そういった目の前に現れることに対してもただクリーニングを続けていきます。

「この部屋を片づけるため」にクリーニングするのではありません。

クリーニングの行き先を私たちが決めることはできません。

何と何がつながっているのか、私たちにはわからないからです。
わかっているのは、今目の前に現れた「この場所を片づけたい」という体験を通して私がクリーニングする機会を与えられているということだけです。

そして、クリーニングしているうちに、ずっと動かなかったものが、突然動き始めることもあります。
だからこそ、面白いのです。何が流れを遮っているのかはわからないけれど、ただひたすら手を動かしているうちに、いつの間にか流れを遮っていた岩をどかしていた。そんなふうに、突然動き始めることもあります。

これまでどんなに強い意志を持ってもなかなか進ませることができなかったこと。これまでたくさんの人と面接をしてきたのに何かがかみ合わなかったこと。それが、あるとき、同じことを同じ人に頼んだだけなのに突然話が進み始めたのです。
「何が起きたの?」と思うくらい簡単に動き始めたのです。
自分が考えていた道とは違う方向から、道が開くこともあります。
それを経験するたびに、私たちは自分で人生のすべてを設計しているわけではないのだと感じます。
もちろん、行動しなくていいという話ではありません。

ただ、「まだ動けない」ということと、「何も起きていない」ということは、必ずしも同じではありません。

自分の頭だけで、進んでいるのかどうかを測っていたら、大事なものを見過ごしてしまいます。

クリーニングを続けていると、長い間そこにあったものが、まるで自分から居場所を見つけるように、静かに動き始めることがあります。

そして、「ああ、今なんだ」と気づくその瞬間が、私はとても好きです。

動かなかったと思っていた時間も含めて、ずっと何かは動いていたのかもしれません。

ホ・オポノポノ手帳のご案内

毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2027

毎日を幸せにするホ・オポノポノ手帳2027

詳細・ご購入はこちら →