アイリーン・シュウォネック ―― 依存の奥にある、ほんとうの渇き

YouTubeも、お酒も、コーヒーも、過去さえも――
私たちが繰り返し求めてしまうものは、本当はもっと別の何かを探しているのかもしれません。
このインタビューで、講師アイリーン・シュウォネックは、依存の本当の姿を静かに語ります。
そして、そこへ戻る道は、わたしたちが思っているよりも、ずっとやさしいのです。


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依存とは、本当は何なのか

会話は、誰もが心当たりのある問いから始まります。
気づけば、また同じところに戻ってきている――動画の前に、グラスに、画面に。
最初は喜びのように感じられたものが、ある日、もうそうではなくなる。

その答えは、急がず、静かです。
依存はその対象そのものではなく、その奥にある、もっと静かな渇きなのです。
愛、平安、そして自分自身に還っていく感覚への渇き。

「本当の依存は、愛を見つけられないということなのです。
アルコールでもなく、動画を見続けることでもない。
問題は、愛が足りないことからくる痛みなのです。」

その痛みを、アルコールやスクロールで覆ってしまうとき、
わたしたちは失敗しているのではなく、探しているのです。
そして、自分自身の愛で満たされ始めたとき、
代わりのものは、静かに力を失っていきます。

子ども時代から運んできた記憶

会話は、聞き手の平良アイリーンが自分の中に見つけた、小さな習慣の話に移っていきます。
両親が経済的に苦労していた子ども時代から、まだ運んできているもの――
スーパーに入ったとき、最初に目が向かうのは特売の棚。

「それが悪いとは言いません。
でも、自分がいかにまだあの状況の中で生きているかに気づくのです。」

静かに耳を傾け、ホ・オポノポノの視点をやさしく差し出します。
わたしたちはもう大人になり、今のこの体験は、記憶か、インスピレーションのどちらかでできている。
記憶を分析する必要も、原因を探す必要もありません。
もっとシンプルな道があります。

「あなたはもう大人になり、自分の人生を生きています。
そして今、自分の体験に対して、100%の責任があるのです。」

感情の奥にあるもの

何かに心がふっと引っかかる――
慣れた場所を歩きながら、ふと感じる小さな痛み。
そのとき、必ず奥には感情があります。
それに名前をつけることをすすめます。
*それは何ですか?*

その答えは、悲しみ。
スーパーで、ふとした瞬間に訪れる、静かな悲しみ。

「そしてそれは、あなたのシステムの中、ウニヒピリの中にあります。
理由は分からなくても、子ども時代から来ているかもしれない。
でも、おじいさまから受け継いだ記憶かもしれませんし、
ひいおばあさま、あるいは他のご先祖さまかもしれません。」

その悲しみは、解決すべき問題ではなく、
解き放たれることを待っている、ひとつの記憶なのです。

気づき、自由になる

それは、とてもシンプルで、それ自体が実践です。

「最善は、それが現れたときに気づくこと。
『ああ、悲しみの感情を感じる』と言うこと、あるいはウニヒピリに話しかけることです。
『また悲しみが来た』『ほら、また悲しみが来たね、でも手放すことができるよ』と。」

原因を探す必要はありません。
時に、何が起こったのかを知ることはありません。

「この感情から自分を解き放つとき、あなたはすべての人を解き放つのです。
ご両親も含めて。私たちは皆、つながっているのです。」

そして最後に、祝福のように静かに、こう結ばれます。

「これこそが、私たちにこの贈り物が与えられた理由なのです。
私たちは解き放つことができるのです。」


— アイリーン・シュウォネック
(聞き手:平良アイリーン)

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