相手の言葉に傷ついた時、クリーニングに戻る

「こんなところで、わたしは一体何をしているのだろう?」

そんなふうに思った経験はありませんか。

同窓会や地域の集まり、子どもの学校行事、親族同士の集まり。

赤の他人ではない人たちが、何かを共有するために集まっているはずなのに、なぜかそこに疎外感を覚えることがあります。

ふとした瞬間に湧き上がる怒り。
苛立ち。
恐れ。
居心地の悪さ。

そんな時、まるで自分がいる場所で迷子になってしまったように、

「わたしは、ここで何をしているのだろう」

と感じることがあります。

場違いに感じること。
気が合わないと感じること。
攻撃されているように感じること。

その場で実際に何が起きているのか、わたしには本当にはわかりません。
けれど、そこでわたしの中に何か反応が起きているなら、それはクリーニングの入口になります。

わたしはシングルマザーとして、3人の子どもを育てていました。

学校行事の際に、親のボランティア参加を求められることがあり、わたしにも声がかかりました。
でもその頃のわたしには、日々の生活のために働くこと以外に費やせる時間はありませんでした。

だから、丁寧にお断りしました。

それでも何度も「できません」と言わなければならない状況が続くと、その環境に居心地の悪さを感じなかったと言えば嘘になります。

そんな居心地の悪さを感じる時、わたしたちはつい、学校や他のお母さんたち、あるいは今の自分の状況に対して、疑問や憤り、不満を持ちたくなります。

でも、わたしはまず、自分自身に戻りました。

「わたしの中の何が、その人にそう言わせているのか」
「わたしの中の何が、わたしに『ノー』と言わなければならない状況を体験させているのか」

そこに意識を置いて、クリーニングしました。

起きている出来事の本当の意味を、わたしは知りません。
けれど、その出来事に対してわたしの中に反応が起きているなら、そこにはわたしがクリーニングできる何かがあります。だから、それに気づいた時、まずわたしは自分自身をクリーニングしたいのです。

ある時は、こんなこともありました。

いつものように仕事のため、ボランティアに参加できないことを役員の一人に伝えると、その女性は何の悪気もなく、わたしにこう言いました。

「あなたは、なぜ結婚しないの?」

彼女は、わたしに結婚することを勧めていたのです。

わたしは驚きました。
そしてその後、「なぜこの人は、こんなことをわたしに言うのだろう」と感情的にもなりました。

でもその時も、わたしはもう一度、自分自身のもとに戻りました。

「ウニヒピリ、こんな記憶があったのね。見せてくれてありがとう」

「わたしの中の何が、その人にそう言わせているのかはわからないけれど、この体験をクリーニングしよう」

「わたしの中の何が、今、わたしに傷ついたような憤りを感じさせているのかはわからないけれど、まずはクリーニングしよう」

それをクリーニングするのは、その女性にわたしのことを理解してもらうためではありません。
わたしがボランティアに参加できるようになるためでもありません。

わたしの中で自由さや平和を感じられなくさせている何かを、ただクリーニングしたかったのです。

それが何にどう影響するのか、わたしにはわかりません。
けれど、生きている中で現れる摩擦は、クリーニングのチャンスです。
本来の自分へ戻るチャンスです。

その後、わたしが誰かと結婚したわけではありません。
突然、たくさんのボランティアに参加できるようになったわけでもありません。

それでも、そうした幾つものクリーニングの機会を通して、わたしはわたしとして、子育てをしながら働くことができました。

それが一体何に、どんな影響を与えたのか、わたしの意識では捉えることができません。

でも、クリーニングの結果、わたしが今ここにいること。
わたしの道の上にいられること。

そのことに、心から感謝しています。


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